事故ってまた久しぶりに生死感について考えました。
いえね、生死については常に考えてるんですよ。
けど、若い時に東京で無機質に生きてて、生きてるんだか死んでるんだか分からなくなって、バックパッカーになって世界(主に東南アジア)をウロウロし始めて、
日本では起きないような奇想天外な出来事の連続で、時に自分の命も危うくなるような出来事もあってスレスレな感じで生きて、
初めて「生」を感じたと言いますか。
生きていることが当たり前になってくると、だんだん不干渉になっていってしまって、生を漫然と傍受してしまうんです。
それが普通と思って生きる人もいるかもしれないけれど、私にはそれが耐えられなかったんです。
そういう風に思う人は精神世界に向かいやすいんですよね。
それで気づくんですよ。
あー、前世からこうやってきてるんだなってことに。
だからこの虚無感はスイッチとも言えます。
んで、それはいいんだけれど、
同じ気持ちの伴侶を見つけて結婚して子供ができてさ。
それで子育てに必死になってて、この感覚薄くなっちゃってたんだなって。
虚無感ってある種の渇きなんですよね。
砂漠のように干上がった自分という土壌が、真理で満たされるんです。
それで満たされると満足しちゃうでしょ。
その繰り返しなんですよ。
だから気をつけないといけないの。
お釈迦様も、法華経で沢山の解脱させた生徒たちを前にして「ここからですよ」っていうんです。
それ言われた沢山の生徒たちは「もう自分は持ってる」って憤慨して、背を向けてしまうんです。
人は弱い生き物です。
少しでも快適さを与えられるとそこに留まりたくなってしまう生き物です。
けれど人生は冒険。
可愛い子には旅をさせろ。
神様から見て私たちは子供ですから、
私たちは死ぬまで旅の途上です。
そんな気持ち新たに自己を見つめ直す事故だったのでした。
最後ダジャレ…?w
お後がよろしいようでw
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて
長谷川陽子