前回、鏡について話しました。

今回は悪い鏡を見てどう成長するかの話です。

悪い鏡は、私を醜くしたり、余計に老けて見えさせたりします。

これは鏡自体が歪んでいたり、照明の位置が悪かったり(真上から照らすと陰影が濃くなって醜く老けさせる)することから起こります。

逆に良い鏡は、正面から強めの光を当てると光が陰影を飛ばしてくれるので若々しく見せてくれるのです。

けれどちょっと待てよと。

良い鏡だけ見て生きてたら、悪い鏡で見える歪んで老けた自分は見ないで済むけれど、周りの人はその老けた自分も見てるわけですよね。

醜く老けた自分を自分は見てないから幸せでいられる、とも言えます。

歪んだ鏡や照明の配置が悪い鏡は避け続けて、一生醜く歪んだ自分は見ずに生きるか、

または、たまに醜く歪んだ自分を見て、フェイスリフトアップマッサージや顔筋鍛えて若々しく保つ。

この選択は人それぞれなので、正解はありません。

ところで、仏陀は釈迦国の王子として生まれました。

仏陀のお父さん浄飯王は、ブッダに何一つ不自由なく幸せに生きてほしいと願い、彼の前から災厄を全て取り除こうとしました。

例えば、病んだ人や老いた人は全員隠されて、若くて美しい人々だけを彼のそば近くに召し使えさせました。

けれどそれでも年若き頃の仏陀は、目に見えない災厄を感じ取って鬱々としてしまい、ついには王としての何不自由ない暮らしを捨てて、乞食僧として出家してしまいます。

老いや死はすべての人に訪れます。

心の醜さも全ての人が持っています。

それらを一切見ずに生きる事は出来るのでしょうか。

それをする人生のどこに意味があるのでしょうか。

私たちの人生が魂の成長のためにあるのなら、自分にも世界の人と同様に等しく老いと死がやってくると知ることで、魂が学びを受け取り始めます。

悪い鏡はそんな自分の側面を見せてくれるのです。

けれど、ここでもう一つ気をつけないといけないのは、成長したいからと言って、悪い鏡ばかり見ていると、自己肯定力が落ちていきます。

ここでもう一つ大事なことは、

この世はすべて幻ということ。

何かを見てそこに真実を見出して

真逆の何かを見てまたそこに真実を見出して

それら両方が矛盾を抱えたまま現実として現れていて、

そしてその根底にあるのが、結局全ては幻ということ。

この気持ちの軽さが大切です。

既に世界は新しい時代を迎えています。

その時代は地球を銀河の中心に向かって次元上昇を促進させてくれるのです。

それにより私たちは軽やかに上昇していく必要があるのです。

重く苦しい時代は終わりました。

気持ち明るく、楽しく、成長していきましょう。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光をこめて💖

長谷川陽子