昨日のトークイベントでも少しお話ししたんですが、

20代の時に、オーストラリアにワーキングホリデービザで一年滞在していました。

本当〜にカルチャーショックの連続でした。

そもそも、オーストラリアに行ったキッカケが、ベトナムの路上で知り合ったイケメンオーストラリア人との出会いでした。

私はその時一切英語は喋れなかったのですが、路上に簡易のテーブルを設置した屋台でご飯を食べていたら、イケメンの白人のお兄さんがなんだか困ってるようにキョロキョロしていたので声をかけたんです。

英語喋れないのにw

身振り手振りでやっとわかったのが、飛行機が夜遅くに到着して、両替ができずに困っているとのことでした。

それで夕飯をおごったのですが、ものすごく感謝されて、更には同じ安宿なことがわかり、一緒に飲むことになりました。

そして筆談で色々話していたら、シドニーから来て、初の東南アジア一人旅で、このあとは北上してニャチャンの町で誕生日を迎えるということでした。

私たちもちょうどニャチャンに行く予定だったので、連絡先を交換して、ニャチャンで再会しました。

ニャチャンには旅先で仲良くなったという白人のお兄さんやお姉さんが沢山いて、初めて白人のグループの中に入った私はなんだか異様に興奮していました。

そして「オーストラリアに遊びに行く!」と彼に伝え、オーストラリアでの再会を約束したのでした。

それから一年後、ワーキングホリデーの準備を整えて本当にオーストラリアを訪れ、しかも図々しいことに彼の家に転がりこませてもらったのでした。

今思うと本気で図々しい話です。

彼の家はシドニーにあるライカートというイタリアンタウンで、イタリア人が沢山住んでて、イタリアンレストランが沢山ある町でした。

最初の頃は語学学校に行っていましたが、そのうち彼の口利きでイタリアンカフェで働き始めました。

その町で日本人は珍しく、ワーキングホリデーの人も皆無でした。

イタリア系オーストラリア人のカフェのオーナーは私のワーキングホリデービザをマジマジと見て「こんなの見たことねぇ」「本当にこれで働けるのか?」と訝しそうでした。

それで最初はお試しで毎週水曜日だけ、週一回の勤務でした。

私の仕事はホールのウェイトレス。

カフェではコーヒー、パスタ、ジェラートが供されるので、パスタの配膳、ジェラートスタンド、テーブルのバッシング(食器下げ)が主な仕事でした。

オーダーはコーヒーを作るバリスタがカウンターでオーダーを取るので、お客さんは来店したらまずカウンターで注文をして、コーヒーをもらって席に座るシステムでした。

町には月島のもんじゃストリートばりにイタリアンカフェが軒を並べているのですが、私が働いていたバーイタリア(そのままのネーミングw)は老舗のカフェだったので、いつも人の流れが止まりません。

私は銀座にある大型レストランで戦場のような忙しさの中で働き続けていた経験があります。

役者でバックパッカーで、頻繁に長期休暇をもらう身だったので、戦力として使えなければ雇用側と良好な関係を保ちつづけていくことは難しいのを知っていました。

自慢じゃないけれど、バッシングは超得意。

バッシングの鬼と化した私は烈火のごとくテーブルのバッシングをし続けました。

レストランはカフェサイド20席、レストランサイド20席、ガーデンサイド20席くらいあって、ウェイターは5人くらいで回してました。

ところがここがオーストラリア気質です。

 客がいなくても誰もバッシングしない。

客が去ってバッシングされてない状態のテーブルが1時間くらい平気で放置されてるんです。

バーカウンターのバリスタも長蛇の列が並んでいても、全く焦ることなく、コーヒを買い求めるお客さんと世間話をしていますし、

ウェイターたちもお客さんの席に座って世間話をしています。

今思うと、お客さんは店員たちとの会話も楽しみに来てたんですよねきっと。

けれど私はそれがわからなくて、お店の売り上げのこと考えてました笑い泣き

回転させないと売り上げが落ちる。

こんなに並んでいるのに取りこぼさないようにしなくちゃって思ってたんです笑い泣き

なぜか経営者目線www

そんなだから、たったの一日でオーナーから認められて、翌週からは週6勤務になりました笑い泣き

しかもカフェの裏に住んでいたので、欠勤者が出るたびに駆り出されて、結果週7勤務していました。

オージーはとにかくイージーゴーイング。

マイペンライ

ケ・セラセラ

なんとかなるさ。

マジで働かないんです。

仕事を見つけるとパブロフの犬のように反応して働きまくる私に同僚たちは

「陽子、働くな」

「お前が働くと俺たちも働かないといけなくなる」

とよく言っていました。

そして、休憩時間にヤツラは大麻を吸い「ゆるむぜー、お前もやれよ」と誘ってきました。

いや、あんたら最初からゆるゆるだから真顔

それ以上緩んだら溶けちゃうよ。

そして、そーいう輩はやっぱり長続きしないから、入れ替わりも激しかったです。

仕事中に酒だって飲まない日本人は勤勉だったのか?てか普通だよね?

けど、そのあと行ったイギリスでは、会社の会議で普通にみんなでランチビヤを飲んでました。

酒といえば、バーイタリアのオーナーは5時に家に帰るので、夜番はお目付役がいないのです。

5時になってオーナーが帰った瞬間に、レジ金抜いてリカーショップで酒買ってきて、みんなで酒飲みながら働く毎日でした。

レジ金抜くのには心底驚きました。

けれどオーナーは知ってると思います。

そこ厳しく締め付けると、みんな辞めちゃうから、お目こぼしがされてる感じがしました。

とにかくだから、そーいうアレコレを見て、感じて、普通って人それぞれなんだって知りました。

私は日本人としては規格外なので、日本に住んで、日本人としての普通を押し付けられると、窮屈で苦しくて仕方なかったのですが、

一度外に出て、「あ、人それぞれでいいんだ」って知って、心底楽になりました。

海外でいろんなカルチャーショックな出来事に遭遇しまくったおかげで日本の規格に合っていないからって落ち込むことはなく、むしろユニークさは宝物なんだって感じられるようになりました。

島国の日本は多民族国家に比べて民族性や独自の文化が守られる反面、視野が狭くなってしまうこともままあると思います。

日本に住んでて息苦しさを感じる人は一度短期留学でもして羽目を外したら絶対楽になると思います^_^

ちなみにその場合のオススメは、タイ、スペイン、オーストラリアなどですw

最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光をこめて✨

長谷川陽子