今日バンコクに帰ることになり、朝からバタバタ。
家族が動き出す前の早い時間に、慣例である朝のお務めのアサナと瞑想を行いました。
けれど後の予定のことがチラついて心がいつものように落ち着いていません。
こんな時にアサナと瞑想がザワザワする心を鎮めてくれるのです。
たまにしかやらなければ、それだけのものとなりますが、日々の慣例としていると、短時間で更に深い領域に入ることも出来るようになります。
今日はその話です^_^
まず、スタジオに入る前にカフェスペースで、お手伝いさんの子供が遊んでいました。
コロナ騒動で学校が休みになり、置いてくることも出来ずにウチに連れてきたんでしょう。
タイのオモチャ特有のディスコテックな電子的な音楽が狂ったように派手に鳴り響くオモチャを飽きることなく何度も鳴らしていて、神経に響くのです。
自分ちの子なら仕方ないけれど、(ていうか、そもそも私はその手のオモチャを買い与えないけれど)、
なんでお手伝いさんの子供が出す大きな音を我慢しなければならないのか…という、自分の小ささを感じさせられる雑念が私の前を行ったり来たり。
頑張って雑念を閉め出しアサナに集中していると、向かいの工事中の建物の金属を切る音も聞こえてきて。
なんだか聴覚に神経質になってる日だなと思っていたら、
今度はアサナするたびにマットが微妙に動いて斜めになるのが、今日はなんだか異常に気になっていることにも気づきました。
アサナと呼吸に集中して、少しずつ普段の感覚を取り戻してきました。
アサナをしてから、プラナーヤマ。
プラナーヤマはナディショーダナを行なっています。
うちで行うナディショーダナはサードアイを活性化するナディショーダナで、特別なやり方でサードアイに意図を置きます。
ナディショーダナをおえてから、もう一度ピンチャマユラアサナに戻ったら、やはりさっき(ナディショーダナをやる前のピンチャとやってからのピンチャ)とは全く感覚が違うのです。
サードアイのところにピンクと紫の中間のようなネオン色の綺麗な花が見えるのです。
気づいたらピンチャマユラアサナを目を閉じて行っていました。
その後、そのピンクの花に集中しながらシルシアサナを行いました。
ピンクの花に集中していると、身体が弛緩して、余分な力は抜けるものの、
それでも膝なども曲がっていたので、集中を切らさないように、更に身体を引けあげて全体に張りを作ってみると
その瞬間に、ここではない場所に行きました。
まず音が飛んで無くなった。
静寂とはまた違った無音。
そして頭の中に不思議な概念が湧き上がる。
肉体はあるけれど容れ物。
容れ物がなければ見えないから。
別の領域をここを通してみる。
その領域は見えない領域だから、「見る領域のここ」からしか視ることが出来ないから。
そして見るといっても、通常の世界とは完全に異なるものをみていました。
陳腐な言い方をするとバーチャル映像の世界。
けれどそれとは違うもの。
言葉では表現出来ません。
そして身体が緩んでる時が完全に感じられたので、その状態で満足し続けていたら、その領域を見ることはできなかった。
けれど本質的な正しい形を知っていだおかげで、その領域に行くことが出来た。
さらにサルバンガアサナを行うと、ムーラダーラチャクラのところに黄色い花が。
なんで黄色なんだろうと思い、目を開けると瞑想用マットの緋色が目に飛び込み、
理屈なしに緋色だったことに気づく。
…と、こんなことが瞑想前にありました。
30分から1時間かそこらの、あっという間の時間でしたが、
時間の概念をすっ飛んで、長い旅に出たような
そんな朝の出来事でした。
今日は宇宙元旦

ちょうどアサナと瞑想の最中に元旦が明けました🌅
瞑想の後に、ひふみ祝詞を奏上させていただきました。
スタジオに入る前と出てからでは肉体感覚も精神感覚も全く違うものとなっていました

最高の始まりですね

皆さま、明けましておめでとうございます^_^
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて✨
長谷川陽子