毎月、北タイ情報誌「ちゃーお」にヨガコラムの連載をさせていただいております。
ありがたや、ありがたや
ではあるものの、執筆作業って心身のバイオリズムに左右されてスポポーンと産めちゃう時と、難産の時があるわけです。
それで今回はなかなかの難産でした
そもそもシルシアサナ(頭立ち)について書こうと思っていたのですが、
シルシアサナの霊的な威力を知っている私なだけに、600文字じゃおさまらねーーーーー
シルシアサナは令和の新年を飾るのにふさわしい!!と思い、一生懸命まとめ上げていたのですが、
せっかく令和の始まりだから、天皇様のお話も書きたい!となり、天皇様について調べていて、その膨大さにいたずらに時間を費やしてしまいました。。。
さらに、令和元年はすでに過ぎてるから元年って言葉使えない…って2020年って令和2年なの
…という、日本人なら当たり前に知っていそうな情報を知らない私がいることを知りました
これを無理くり表現すると「既に令和2年ですが、令和の世になって初の新年」って、、、
なんてモッタリした文章なんだーーー!!!
さらにさらに、「あけましておめでとうございます!!!」でヘッドスタンドがバーンって
インパクトがあっていい!!と思ったのですが、
いざ文章に起こしてみて、
天照大神のこと書いて、天皇様のこと書いて、足が上になってる自分の写真も横に並べたら、、、
ナニコレ…なんか不遜なカンジ…
ヨガでいうところの逆転のポーズは天地を逆転させることで、常識を覆すという素晴らしいポーズなのですが、
これって破天荒な考え方ですよね。
僧侶で言うところの破戒僧の沢庵和尚みたいな。
なんせヨガの始祖が古い世界をぶっ壊して新しい世界を作る破壊神、シヴァ神なのですから、考え方がかなりロックです。
け、れ、ど
敬意を忘れていいわけではありません。
尊ぶべきものを踏みつけていいわけではありません。
って、言うと今度は
「どこまでだったらやっていいの?」って自分で考えられない人が出てきますw
なんでもありだったら、犯罪者も増えて、この世は混とんとしますよね。
人々は理性の中で生きなければなりません。
ちょっとはなしそれますが、
昔、まだレックつ付き合い始めのころに、二人で旅していて、こんなことがありました。
私たちはチェンライの片田舎の小さな宿に滞在していて、私は運動不足解消のために庭でヨガをしていたのですが、
その宿の隣にお寺があったために、「ブッダに向かって足を高々と上げてはいけないよ」と、レックが教えてくれました。
タイの人の聖なる存在に対する姿勢は本当に見習うものがあるなと思います。
心の中だけで思うのではなく、言葉や態度で示していくことの大切さをいつも教えられます。
昔の私だったら面白いほうを絶対的に優先していましたが、
今の私は知っています
それよりも大事なことがあるって。
それが私たちの霊性を向上させてくれるものだって
と、いうわけで新年一発目はシルシアサナじゃなくなりました。
それよりインパクトのあるものってあるのー???
って思いそうですけれど、捨てる神あれば拾う神あり^^
ちゃあんと相応しいアサナが見つかりました
なるようにしてなるものですね。
今回は難産でしたが、生まれてしまえばスッキリしたものです
これで気持ちよく年越せます
あーよかった
と、いうわけでどのアサナになったかは、来年のお楽しみ^^
最後まで読んでくださってありがとうございました!
愛と光を込めて
長谷川陽子