イギリスに留学している時に演劇を学んでいました。
演劇学校にはなんとか入れたものの、東洋人は1人もおらずほとんどがネイティブのクラスメイトばかりで、彼らと同じように英語で演技をする以前に英語が流暢に話せなかったので、本当〜に苦労しました。
私はなんでここにいるんだろう。
なんのために?
って考えない日はありませんでした。
考えたらそれは当然イギリスの伝統的な演劇を学ぶため。
シェイスクピア、16世紀コメディ、シューリアリズム。
イギリスには日本にはない歴史があります。
今思えば、だったら芝居よりも演出を学んだ方がよかったのかもしれません。
演出を学ぶのであったら、自分が役者として人前で表現をし続ける必要はないので、あんなに英語の壁に立ち向かわなくても済んだわけですが、その時の私は演者でありつづけたかったので、演出を学ぶという選択肢は自分の中にはありませんでした。(わざわざ苦しい道を選んだおかげで、それらは全て今の糧になっているわけですが。)
それで、とにかく私が何をしたかというと。
イギリスは全てに格付けをする国で(日本もか)、演劇学校も3大演劇学校というのが存在します。
イギリスで活躍する多くの役者はその演劇学校を卒業しています。(わかりやすい人でいうと、パイレーツオブカリビアンのオーランドブルームとか)
その3大演劇学校を昔に卒業していて、私たちの演劇学校に教えに来てくださっている先生がいらして、その先生に個人授業を頼んでいたのですが、
先生に話してもらって、それを録音して丸覚えしていました。
それって発音の勉強にはいいですよね。
けど、私が演じてるかというと…どうなんだ?
ってなってきます。
私は先生の操り人形のようなもので、自分では何一つ表現していないのではないか?と思い至りました。
例えば「ラビッシュ」って「ゴミ屑」っていう意味なんですね。
イギリスでは頻繁に使う言葉で「取るに足らない」みたいな意味があります。
くだらない!っていう時に「ラビッシュ!」って言うのですが、そんな言葉イギリスに行くまで知りませんでした。
「初めて知った言葉をいきなり芝居で言う」って、ものすごくハードル高くないです?
イギリス人なら、その場その場で色んな言い方が出来るかもしれないけれど、私日本人だし。
変なイントネーションで言ったらきっとおかしいことになるし、バリエーションもないし、もー手も足も出ないわけです。
なので、先生に録音してもらった「音」だけが頼りだったんです。
操り人形でもなんでもいいから、とにかく単位を取るためには先生が必要でした。
そこに自分があったか?
ハッキリ言って
なかった!!
先生が録音してくれた「音」を丸覚えして、そこに怒ったり笑ったり泣いたりする演技をくっつける。
私はそこにはいなかった。
イギリスには
イギリス内で通用する演劇検(ギルドホールエグザミネーション)というものがあります。
日本の英検みたいなものですね。
それの高いグレードを持ってると、オーディションなんかでかなり有利になるわけです。
私の学校ではその演劇検を受けるのが必須科目に入っていたのですが、
信じられないことに、その先生の「音」のおかげで、高いグレードにパスしました。
やってみた今だからわかることですが、海外で英語で芝居をするって、もー私からしたら意味不明です。
日本語は言葉で感動できるんです。
音のバイブレーションがハートにダイレクトに届いて感動する。
泣ける映画を観ていて「アイラブユー」って言ってるの観ても感動しないんです。
泣く時は字幕の「あなたを愛してる」を読んで感動して泣くんです。
外人と話して感動して泣くことはありますが、それってつまり脳内で変換がされてるんだと思います。
けれど日本語はダイレクトに来るんです。
直球。
ストレート。
だから面白い。
母国語って大事なんだなーって実感です。
そこいくとうちの息子のようにトリリンガルな子供は脳内がどんなになるのか摩訶不思議で楽しみです。
ですから私は日本語を大切にしています。
言葉のことを考えると、日本が好きだなーってつくづく思うわけです。
それでもこうして海外に住んでいるのは、日本にいると当たり前になっちゃって、感謝できなくなってしまう愚かさがあるので、
日本への「ありがたみ」を感じ続けるためなのかもしれません^ ^
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて✨
長谷川陽子