ところで
 
私が滞在していたゲストハウスにチャンドラという名前の孤児が下働きをしていました。
 
当時のカンボジアはポルポト政権の大量虐殺により、親を失った子供が溢れていて、おそらくチャンドラもそうなのだと思います。

私は日本から持ってきたオヤツを持っていて、第三国で日本のお菓子は大人気。

現地の子供にあげると奪い合いになります。
 
チャンドラは私にとても懐いてくれていたので(オヤツあげてるからかどうかは分からないけれど。笑)
 
チャンドラに会うのが私のシェムリアップに来た時の楽しみでもありました。
 
それである日、シェムリアップの宿に帰ってくるとチャンドラがいないのです。
 
病院もちゃんとしていないような第三国の過疎地ですから、チャンドラに何があったのかとても心配し、色んな人にチャンドラの行方をたずねると、

「日本人の男性が大きな家を建てて、若い女の子たちを連れて行って住まわせている」という話を聞きました。

全くどういうことかわからない。
 
なんか卑猥に聞こえませんか?
 
カンボジアは本当に貧しくて、親に売春宿に売られてしまう子供も沢山見ていたために、
 
「変なおじさんのハーレムに入れられていたらどうしよう」と、恐ろしい想像が私の頭に憑りついて離れなくなりました。
 
もしそんなことがあるなら同じ日本人として見過ごすわけにはいかぬ!と思い、
 
私はその「日本人の家」とやらを訪ねました。
 
けれど、そこは私が想像していたような(扉が厚く閉められていたりする)閉鎖的で秘密めいた館とは全く異なり、
 
風通しの良いオープンスペースが気持ちの良い大きなカンボジアスタイルの木造建築の建物でした。
 
中は工房のようになっていて、一階では沢山の女性が機を織って働いていました。
 
そこで森本さんに会いました。
 
その日本人男性、森本さんは目がキラキラしたニカッと笑う笑顔の素敵なおじさんでした。

カンボジアの現地NGOとして失われてしまった機織り技術を復興させる活動をしており、
 
カンボジアの若い女の子たちに機織りを習わせ仕事を与えていたのでした。
 
森本さんは日本でカンボジアの文化を紹介しつつ、彼女たちの織った織物を販売し、彼女たちにお給金を払っていたと聞きました。
 
カンボジアで販売したら二束三文にしかならないけれど、日本で売ったらカンボジアでは想像できない値段で売れると思います。
 
カンボジアには学校に行っていない子供が沢山いて、大人になってもロクな仕事に就けない人が沢山いました。(タクシーの運転手がいい仕事なのです。)
 
森本さんの工房でチャンドラに再会すると、チャンドラは以前と同じく子犬のように目をキラキラさせて私のところに飛んできました。
 
チャンドラは森本さんのところで働いていてとても幸せそうにしていて心から安心しました。
 
チャンドラは読み書きもできなかったし、森本さんのところで働けたのは本当にラッキーだと思います。
 
長くなったので後半に続きます。
 
つづく。