人は善人でありたいと思うものですが、

善人ってどんな人のことでしょうか。

目の前で困ってる人がいたら、手を差し伸べる。

これを全ての人が出来ていたら、この世ってもっと平和だと思います。

けれど実際は犯罪は絶えないし、戦争も無くならないし、飢えて死ぬ人や、教育を受けられない子供達も世界中にあふれています。

国自体が貧しくて、人のことを助ける余裕がない人だらけの国もあります。

けれど日本は、そういう国から比べると、比較的裕福な国ですよね。

3食好きなものを食べられるし、

旅行にも行けるし、

テレビや冷房などの電化製品はみんなが一通り持ってます。(家の方針でテレビがない人もいますが)

つまり、そこまで死と隣り合わせではない人たちが住む国です。

ところでその人たちは世界に向かって何かしてるでしょうか?

毎日太陽が昇ることに感謝して生きています。

ご飯が美味しいことに感謝して生きています。

四季が巡ることに感謝して生きています。

けれど、世界の苦しんでる人たちには無関心です。

自分にはなんの力もないと考えて慎ましく生きています。

けれど世界が100人の村ならば。

私たち日本人は、人を助けられる側の人間です。

その助けられる側の人間が自分のことしか考えずに生きているとしたらどうでしょうか。

世界の情勢に興味がなく、日本の政治にも興味がなく、自分の給料が安いことを嘆き、けれど頑張ってる自分へのご褒美に美味しいものは食べて、骨休めにたまに旅行にも行く。

もし日本がこういう人だらけだとしたら、日本人の精神性はそんなに高いとは言えませんよね。

こんなことが言えます。

神様がもしいると仮定して、

世界を助ける側と助けられる側に分けて、お互いが関わることで学べるようにしているのだとしたらどうでしょう。

助ける側には人を助けるための力が与えられています。

それなのに助ける側が助けなければどうでしょう。

小さな子供の兄弟がいたとして、

お兄ちゃんがオヤツを弟に半分分けてあげられるかを親が見ているような状態です。

お兄ちゃんは弟に分けると自分の分が減ってしまいます。

もしかしたら全部食べられないかもしれないけれど、人に分けるくらいなら全部自分で食べると思うかもしれません。

けれどもし分けてあげられたら弟も嬉しいです。

食べる分は減っても喜びを分かち合えます。

物質の豊かさよりも感覚の豊かさを選ぶ。

ここから精神性の学びは得られます。

「それじゃ僕はどうなっちゃうの?」

このように考えている人の心は豊かにはなれませんから、物質的な豊かさを追い求め続けることになります。

そして輪廻転生のルールで因果応報というものがありますから、自分の行いが自分に返ってくるのです。

さて、あなたは善人ですか?

自分が何者なのか。

自分のことを見つめ続けて、自分に恥ずかしくない自分を育てるのがヨガです。

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最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光をこめて✨

長谷川陽子