日本に帰った時に
オーストラリアに住んでいる昔の仲間と飲みに行きます。
仲間うちが30人以上の大所帯なので、
日本に帰った時にみんなで会うとどんどん人数が増えて、当たり障りのない世間話になってしまいがちです。
けれどオーストラリアのQさんは特に仲の良い熱い仲間だったので、なるべく少人数でしっぽり飲みたいねという話になりました。
それでQさんが「サシ飲みするか?」と聞いてきたのですが、そこには違和感なのです。
20代で一緒に働いていた時はよく2人でサシ飲みしてました。
けれど今は状況が違う。
私には旦那さんがいるし、Qさんにも奥さんがいます。
こんなこと言ったら変に意識してて変と思われるかも。
と、思いつつも
「旦那さんがいる身で異性とのサシは罪悪感。
(サシは間違いなく楽しいけれどね)
真面目が凄いでしょ。笑」
と返事しました。
するとQさんから
「間違いの起こりようがないでしょ!笑」
という返事が^ ^
はい、その通りです。
天変地異が起こってもその間違いは起こらない自信があります。笑
けれど、それは私たち2人の考えなだけで、外側には別の見方が存在します。
私たちはサシ飲みしたいほどお互いに好意があるわけですよね。それは友情という名の好意だったとしても、好意は好意。
例えば私の愛する旦那さんが私の知らない女性に好意を寄せていて、私抜きでその人に会うとしたらいい気持ちはしません。
お互いを信じていれば大丈夫なはずとも言えるかもしれませんが、私の旦那さんはそんなことはしないし、そもそも信頼を試すようなことする必要はないです。それは物事をシンプルにしていきません。
私も私の友人もそれぞれ大切にするべき人がいるのだから、その人に誠意がある人でいるべきと私は考えるのです。
と、言うわけで、
「真理の探究者としての当然のふるまいです。」
と返事をしたら、Qさんからも
「俺も料理、経営を通しての真理の探究者だからクリーンに行きたいね!」
と気持ちの良い返事が返ってきました^ ^
(Qさんはバイロンベイで日本食レストランの経営をしています)
さすが私の熱きハートの仲間です^ ^
人間生きていれば、時として自分の信条と違う行為をしないといけない時はあると思いますが、
「みんなやってることだし」とか「そこまで気にする必要ないのかも」という信条と違う言葉に惑わされずに、
外から見たら固くて面倒くさいやつだなと思われても
大切にしないといけないものは見て生きたいです。
それがハートの声を聞き続けて生きる者の姿勢です^ ^
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて✨
長谷川陽子