真理を探究して、書物などを読んでいると、ある種の制御のようなものを感じることがあります。
「古の教えは師匠から弟子によって教えられ、書物からはエネルギーは受けられないゆえに、師匠につかねばならない。」
これは古代からの教えの定石です。
目も耳も同じ感覚器です。
耳から受け取るのと、目から受け取るのに何かの違いがあるのでしょうか。
いいえ、そういうことではなくて、波動の話です。
優れた師は言の葉にシャクティを乗せて弟子に送り続けます。
本だと同じ本をそうそう何回も読まないかもしれませんが、
師は弟子に同じ話を何回も繰り返します。
一見繰り返されているだけに見えるけれど、本当は厚い層を形成し続け、弟子の中を光で満たし続けるのです。
特に脳に付着した古い怖れのパターンを溶かすために脳に光を送り続けないといけませんので、そのようなことがなされています。
本を読むのとは違うわけはこういうことです。
それとは別に文章に特殊な波動を乗せて送ることは出来ます。
(現在、神秘入門というオンライン講座をしていますが、そこではご参加の方に向けて波動を送っています。)
それで最初の話に戻りますが、
書物を読んだ時に感じるある種の制御。
人は赤色から紫色までの限られた波長の電磁波しか感じ取れません。
音も限られた周波数の音しか聞き取ることができません。
犬が聞いたり嗅いだりする音や匂いを人は聞かないし嗅ぐことは出来ません。
人の五感の能力は限られたもので、
全体を知ることは出来ません。
真に知りたければ、真に求めるならば、
自身の五感や心を通して感じる外界ではなく、
自身の内側に神を求め始めるものです。
真に神を求め続けると、神が像や建物や文字の中では見いだせないことに気づき始めるでしょう。
そうしてはじめて真の覚醒の扉が開くのです。
自立の大切さに気づき始めるのです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて✨
長谷川陽子