神は無限です。

物質次元にいる私たちが捉えようとしたところで、それは3次元という枠の中での捉え方にすぎません。

3次元は有限の世界ですから、

そこに生きる我々もまた有限からしか物を見ることが出来ず。

有限の私たちに

無限の神を捉えることは出来ないのです。

ですから神っぽいものに対して意識を向けることは出来るものの、

それは神の一側面にしかならず。

それでも「愛」や「神聖さ」に意識を向けて、自分をそこにあわせようとすることで、神のエッセンスを感じることは出来ます。

けれど、それをただ続けていればそれらが高まり、やがて神と合一となれるのか?

となると、理論的には出来なくはないものの、

万人にできる域を超えています。

ですから、ある程度方向性をつけておきながら

最後は一気に手放す。

神は無限ですから、

方向性を持ち続けているうちは

3次元を高次元と平行線上で進んでしまい、

いつまで経っても二つの線は交わりません。

けれど高次元にはそもそも物質はないので、

線もない。

線があると思っているのは我々のマインドです。

なので最後は線をとっぱらわないとならず、

自分が当たり前と思ってきた、

そうあるべきと思ってきた、

常識や理解を全て手放さないとなりません。

これが解脱の行です。

私たちは物質次元である3次元に生きていますから

この世の全ては

自分の見聞きしたことや

過去の経験に基づいて形成されています。

ですから神を見ようとした時も

自分の持ちうる神の情報を総動員して、

神っぽいものを形作るしか出来ません。

けれど何度も言うように神は無限であり、

神に形はありませんから、

形作ってしまっている時点で

神に制限をかけているようなものです。

人は神を擬人化して、人になぞらえて、

「つまり神はこう言いたいんだな」

と理解しようとしますが、

ですからそれを始めた時点で、

本来の神より低い次元で神への理解をしてしまっているということも言えるのです。

真の意味で

解脱を志すならば、

常にこのことを念頭に置き、

自分の常識をいつでも覆せるだけの

マインドの柔軟さを持ち

生きて行くのが肝要かと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました^ ^

愛と光をこめて✨

長谷川陽子