高速で走る車の中で

人間の命の儚さについて考えています。

死のことを考えると

どこまでも考えられます。

死んだあと、

この世での活動は終わりますから

作りかけの何かも

干してあった洗濯物も

食べかけの何かも

友人との会う約束も

借りたお金も貸したお金も

全て置き去りにされるわけです。

全て自分の預かり知らぬところで

家族なり友人なり職場の同僚なり全く知らない業者なり、

とにかく自分以外の誰かに処理されます。
 
なんだか恥ずかしい気もしますが

死んだあとだから恥ずかしがっても自分はそこにいないわけで。

そう考えると不思議な感覚です。

「立つ鳥跡を濁さず」

なんて言いますが

普段から身辺整理してる人なんてあんまりいないわけですが、

突然交通事故でこの世を去ることもあるわけで。

そもそも当たり前に生きてることに不思議さを感じる毎日です。

何にもなくただ生きて、

気づいたら死んでる。

これで本当に生きてたと言えるのでしょうか。

死のことを考えるなんて不吉な感じがする人はいるかもしれません。

けれどそこには生の鍵があるのです。

事故や怪我で生死の境をさまよった経験がある人は、生き方が変わるなんて話をよく聞きますよね。

ちゃんと生きようと思ったら

真逆の死を見るのが一番早いわけです。

なぜ私たちがこうして生きているのか。

それには目的があるはずです。

私たちは生かされていると知ることで

生き方が変わってきます。

一瞬一瞬を大事に丁寧に生き始めます。

あなたはちゃんと生きていますか^ ^

長いようで短い人生。

どう生きるのもあなた次第。

そしてアナタには無限の可能性があるということをお忘れなく。

まずは知ること。

最後まで読んで下さってありがとうございます。

愛と光をこめて✨

長谷川陽子