おととい誕生日を迎えました。
メッセージ下さった方、本当にありがとうございます^ ^
誕生日は特別なことはなく、家族3人で比較的いつも通り穏やかに過ごしました。
例えば、日本にいて旦那さんと一緒だったら、どこかムードの良い素敵な宿に一泊とか、予約の取れない有名レストランでディナーとか、サプライズプレゼントとか、結構ミーハーな私はそういうものに憧れる気持ちがなくもないのですが(似合わんな 笑)
タイに来て、観光客が知らない絶景ポイントや、隠れ宿や、レストランには普段から連れてってもらってるので、そこに特別感はなくなったっていうのも本音です。
(しかも日本だとそういうイベント事ってやたらお金がかかるけれど、こっちではお金をかけないのも良い)
誕生日の日も郊外にドライブに連れてってもらいましたが、店員が突然みんなでハッピーバースデーを歌い出すとか、花火のバチバチしたケーキが運んで来られるとか、「さぁこの畑にダイヤの指輪が埋まってるよ!」とかそういうことはなく。(あるもんか 笑)
ということで比較的普段通りの穏やかな時間を過ごしました。というのはそういう話です。
それでもですね。
穏やかな時間の中でなんだかジンワリ感じる幸せというものがありまして。
旦那さんがいて、私たちの子供が私たちの周りを大喜びで走り回っていて、更にお腹の中には新しい命が宿っていて。
何か凄い特別なことがなくても、家族が健康でいつもこうして一緒に寄り添っていられたら、それ以上の幸せってないと思いました。
最近は日常の生活を淡々と過ごすうちに、
付き合っていた時や、新婚の時の新鮮さが失われてきていました。
今までだったら旦那さんに何かしてもらったら、どんなに小さなことでも顔を輝かせて「ありがとう!」って言っていた私なのに、最近はしてもらうのが当たり前のようになっており。
「ありがとう」と言ってはいるけれど、気持ちがおざなりになっていました。
旦那さんもテレビずーっと見続けた後や、私そっちのけでタイ人とずーっとタイ語で話し続けたあとは、必ず私に申し訳なさそうに謝って、私をケアしてくれてたのに、最近は当たり前になってきていて。
いうなれば、新鮮さがなくなってきていました。
そして、自分もそうなのに、相手が変わりつつあることに不満を感じたり。
そんな感情が少しチラホラ出てきていましたが、誕生日という非日常の日が、私に大切なものを見直す機会をくれたのです。
翌朝
「いつもありがとう」
と伝えました。
その時口から出た「ありがとう」は、最近のありがとうとは違い、ハートの中から出てきたありがとうでした。
そしたら胸が暖かくなって。
それは旦那さんにも伝わって。
この世は永続的な宇宙の運行に則って動いています。
時が流れるのに、
レシピ通りのケーキのようにいつも同じ味。
気持ちがずっと同じであり続けるということはあり得ないことです。
変わらない気持ちというのはあると思いますが、
それすらも、経験の積み重ねで、以前と全く同じものではなく、
深みが増していったり、
微妙な感情の変化が乗せられたりしてくるものです。
気持ちを持続するには、それなりの努力が必要です。
意識を向け続けないといけません。
気持ちには形がありません。
育むのも壊すのも自分次第。
あると思っていたものが、気づいたらないということがないように、意識を向けましょう。
大切にしたい気持ち。
時を重ねて、思考錯誤して、経験を重ねて、
育んでいきたいですね。
最後まで読んでくださってありがとうございました^ ^
愛と光をこめて💕
長谷川陽子