昨日の出来事です。

家具にペンキを塗っていました。

ペンキと一緒に洗浄用のシンナーを使っていたのですが、

ちょっと目を離したすきに、息子がシンナーの入っている容器を持ってニコニコして立っているのです。

驚いて息子の名前を叫んだ瞬間、

息子はシンナーが入っている容器を空高く投げとばしました。

そしてすぐに目をこすりながら、火がついたように泣き叫び始めました。

頭から被ってしまったのか、手に付いているシンナーが目に入ったのかは分かりませんでしたが、

とにかく目を洗って、車を飛ばして病院に直行しました。

車の中では既に泣き止んで、おっぱいをのんで、寝ようとしていましたが、

私の心臓はバクバクが止まりません。

近所にあるチェンマイでも1、2を争う大手病院に到着し、緊急病棟に走りこみました。

旦那さんは車を駐車に行っていたので、私1人だったのですが、英語で「息子の目にシンナーが入ったから洗浄して下さい」とまくしたてました。

すると緊急受付の看護婦さんが緊急病棟のお医者さんとタイ語で何事か話した上で、私に「ここじゃないからついてこい」と言い、どうやら目の専門医のところに行くこととなりました。

というわけで看護婦さんの後ろをついて歩いていたのですが、その看護婦さんの歩みが死ぬほど遅い!

牛歩?

ウィンドウショッピング?

「お天気がいいからちょっと散歩しようかしら」みたいな呑気な足取りで、後についている私はイライライライラ・・・!

この人の後ろをついてこいと言われたけれど、気のせいだったのか?と、錯覚するほど、まるで私が後ろにいるのを忘れたかのような、ゆっくりな歩調に不安になり、

「私、あなたの後ろついてくるんであってますよね?」

と、変な質問を投げかけました。

やっと到着すると、目と鼻の先にある「眼科」の受付に案内されたのでした。

指差してくれて自分できた方が早いしっっ!!!!

と、思いつつ、受付で再度緊急の旨を告げると、「まぁそこに座って待て」とまた悠長なことを言われたのでした。

「息子の目にシンナーが入って、急を要するので待てないんですけれど、私は何を待つんですか?」と、受付の看護婦さんに訪ねると、「日本語の通訳が来るのを待て」との返事が返ってきました。

「英語で説明できますから、日本語の通訳を待たずに今すぐ処置して下さい!」とまくし立てたのですが、

全く相手にされず、息子を抱いて受付の椅子に押し込められ、ジリジリと待たされましたた。

海外で、しかも英語圏ではない国なので、こういう時に言葉が通じず本当に辛いです。

シンナーという単語が通じているのかどうかすら定かでなく、訴えが通じないもどかしさと、息子の目が溶けたらどうしようという恐ろしさで、泣き叫びたかったです。(息子が泣いてないから、緊急じゃないと判断されたのかもしれませんが、そんなことは診てみないと安心できませんし。)

何でもいいから早くして!!

と、心の中で叫んでいたら、やっと通訳のお姉さんが到着したので、半泣きになりながら再度、同じことを繰り返し伝えました。

通訳の方は私の話を聞いて、驚いてすぐに看護婦さんに処置を急ぐように伝えてくれましたが、

信じられないことに看護婦さんたちは、話を聞いても全く慌てることはなく、

それどころか初診の受付はカルテ作成をしないといけないから、必要事項の記入や、身長体重を計れうんぬんと言ってきたのです。

何コレ?

タイでは目にシンナー入るのは日常茶飯事ですか⁉︎

普段の状況ならどんなことでも楽しめますが、この時だけは無理でした。

堪忍袋の緒が切れた私は

息子の視力が無くなったら、訴えるから。

と、低いドスの効いた声で言い放ちました。

通訳さんがすぐにそれを看護婦さんたちに伝えると、看護婦さんたちが途端に凍りつきました。

言霊には情報が込められています。

それまでは他人事だったのが、突然訴えられて、責任を問われる自分たちの姿が脳裏に浮かび上がったのでしょう。

直後、モーゼの十戒の割れる海のように、ザザザーッと道が開き、診察室に通されたのでした。

普段、魔法学校で言霊の大切さ、強力さを切々と説いている私なので、こんな強力な言霊を使ったのはそれだけ切羽詰まっていたからと説明させてください。

本来はどんな状況でも、人にダメージを与える言霊を使うことは良しとしていませんということだけ書いておきます。

目を検査して、角膜に異常がない事が知らされ、目を洗浄して、ごく微量のシンナーの塊が摘出されて、やっと私は肩の力が抜けて、涙がボロボロとこぼれ落ちました。

あぁよかった。

本当によかった。

私は自分の投げた言霊の緊縛を解くために、

通訳さんにはすぐに平身低頭して謝りました。

すると通訳さんもホッとして、「あの状況ならわかります」という優しい言葉までかけてくださいました。

 

看護婦さんたちにも心から頭を下げて謝りましたが、返ってきた反応は微妙なもので、言語の壁がそうさせるのか、大げさな親への態度がそうさせるのか、それとももっと違う何かがそうさせるのか、、、スッキリとした状況は得られませんでした。

 

その人の中に「おそれ」があると、言霊に強烈に反応して拒絶反応を起こします。

 

人は攻撃されたと思うと、反撃もしくは防御に走ります。

 

通訳さんは訴えられてもやましいことがなかったので、私を一生懸命助けようとして下さり、危機が回避された暁には一緒に喜んでくれました。

 

看護婦さんたちは「自分は悪くない」「忙しかった」「大げさな患者につきあっていられない」「そもそも自分が悪いのに八つ当たりされている」・・・などの自分を正当化する理由が噴き出したために、危機が回避されても根底のそれらの感情(おそれの感情)が邪魔して、通訳さんとは異なった反応が表層化したのでした。

 

この看護婦さんたちへの浄化作業は後にさせて頂くこととします。

そもそも私が悪いのですが、

しかしそれにしても、タイはサービス業の人の態度が悪いことが多いです。(看護婦さんってサービス業?)

働く人はその場所の顔だと思うのは日本人だけ何ですかね。。。

ところでモーゼの十戒の話は、別に勝ち誇ってるわけではないし、そういう話ではないので、誤解しないで下さいね。

再三言いますが、本当は「訴える」なんて強い言霊は使いたくありませんでしたし、私自身のためなら使おうなんて絶対に思いません。

が、「かぁちゃん息子のためならやったるで!」っちゅうことで行使しました。(子供のためなら鬼になる、、、母親ってこういうことかと実感しました。)

そして言霊の強力さを実感。

強い言霊は人に良い影響を与えるだけでなく、傷つけることもできます。

光にも武器にもなるのです。

本当に自分がどんな言霊を吐いて生きているか、知らない人がこの世には多すぎますから、気をつけないといけません。

私も久々に強い脅迫の言葉を吐きした。

本来なら、ヨガ教師としてこんな話をブログに載せるのも憚られるのですが、

自己への戒めのためにも載せました。

最後にもうひとつ。

「息子の目が見えなくなるくらいなら、私の目が見えなくなるほうがいい。」という考えが一瞬脳裏をもたげましたが、それは打ち消しました。

私の目をあげたくないとか、そういう話ではなくて、等価交換に応じないという話です。

この世では人々はすぐ等価交換に応じようとしますが、それは陰陽極性を生み出し、物質次元に自分を落とし込みますから、その思想は手放したほうがいいです。

子供は目に入れても痛くないし、

子供のためなら火のなか水ですが、

子供のためなら死ねるといつも考えていると、まっさきにそれを選んでしまい、他のもっと自由な選択肢が得られなくなるのも事実です。

私が選ぶのは子供と生きる道。

子供と高め合う道です。

湿っぽくならずに、光の方を選びましょう。

長くなりました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光をたくさんこめて😇

はせがわようこ