人智を越えた神の領域に触れることで

私たちは神を感じます。

人間の限界を超えて進化していかないと

高次元化は進みません。

宇宙レベルでは進むんですけど、

個人レベルでは進みません。

つまり魂レベルでは、問題ないけれど個人レベルでは置いてきぼりをくらうということです。

(宇宙的には人間1人が置いてきぼりになったところで対して問題ではありませんが、当事者からしたら問題ですよね。自分は勝ってないけど、団体戦は勝利したみたいなカンジ。)

若干、話変わりますけれど、

今日、突然ドライブに行きました。

到着するまでレックが行き先を教えてくれず、向かってる方向からして温泉だと思っていたのですが。

到着したのはお寺でした。

そのお寺は高い山の山頂に座していて、山の中腹の駐車場に車を止めて、そこからは四輪駆動のソンテウ(乗り合いバス)に乗って、急勾配のデコボコ道を登ること20分。

車で山頂まで行けないので、そこからは徒歩で約2㌔登って行きました。

山頂に到着するとそこは、下界が遥か下の方に見渡せて雲間から差し込む光で畑の収穫物や野原の草が金色に輝いていました。
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遠くには山の美しい稜線が広がり、幾重にも重なって山波を作っていて、なんとも言えない天のエネルギーに満ち溢れた場所でした。
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聖域(サンクチュアリ)とは、こういう場所のことだなと思いました。
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無数の仏陀が祀られている祭壇の前に座ったり、遥か遠くに見渡せる山波とパゴダが一緒に眺められるように配置されたパゴダの前に座ったりして、心静かにしてひと時を過ごしました。
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「やっと、ここに来れた。」

フとこういう気持ちが湧き上がってきました。

その場所は有名な場所ではないので、私は存在すら知らないので、「来たい」と思っていたわけではないはずなのですが、そう思ったのです。

言い直すと、そう思えたのです。

それはまるで物質次元の肉体や思考を持った「私」を超えた「私」の呟きでした。

以前、私のヨガのレッスンに来ていた男性が「やっとここまで来れた」と言ったので、どういうことかと聞くと、「自分のレベルがここまでに達したことに感動して言いました。」と話してくれ、その言葉に私も感動したものでしたが。

この山の上のお寺には、私の新たな気づきにつながる智慧が沢山広がっていました。

こういう場所を人間界に沢山配置して下さる神の采配に感謝せずにいられません。

こういうギフトがあるたびに喜びのエネルギーが身体の中に、エネルギー体に、満ち溢れて、神の存在を近くに感じるのです。

日本ではパワスポブームなんてありましたが(いまだにかは知らないけど)、ただ受け取るだけでなく、受けたエネルギーに感謝して、人間社会に還元していける自分でありたいものです。

余談ですが。

実はこのお寺は以前、チェンライの山奥にある温泉に向かっているときに見つけたお寺でした。

遥か彼方山の上にそびえるパゴダ(仏舎利塔)を見つけて、「あんな高い山の上にどうやっていくんだろうね?」と話していたのを、レックが行き方を調べてくれていたのでした。

山降りてから「凄かったね~!有名な山なの?」と質問してはじめてその事実を知ったのでした。

そんなこととは露知らず^^;

レックありがと~💖

最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光をこめて✨

長谷川陽子