日本で瞑想の修行にいそしんでいた頃、瞑想道場で水行を行ったことがあります。
極寒の極限下の中で水行を行うことで、人智を超えた力の領域に自分を繋いで覚醒を促していくわけです。
ある行者さんが真冬の滝行を行っていた時のことを話してくれました。
その方は滝行と護摩行を往復して行っていて、滝に入ったらお腹をつねり続けるそうなんです。
そして、お腹の痛みの感覚がなくなってきたらすぐに水から出ないといけない。
(そのまま水の中に留まり続けていて、麻痺が心臓まで達すると心臓麻痺で死ぬそうです。)
お腹の感覚がなくなったら水から出て護摩行を行い、また水行に戻る。
これを何往復もしていたら突然水の中の自分の身体から湯気が出始めて、寒さを全く感じない状態に達した。
…と、そんな話を聞いて「よし、その領域に行ってみるぞ!」と思って水行を始めたのでした。
普通は10月くらいからはじめてだんだん身体を慣らしていって、本番は1月~2月だそうです。
10月くらいでしたが、山の中の道場で真夜中は相当冷え込み、布団から出るのも億劫なほどでした。
その道場は私の通う瞑想道場の別院でしたが、昔は行者で溢れかえっていたけれど、最近はそういう人は来なくなっていたそうです。
しかも水行初心者の私にはアテンドがつかないといけなくて、道場の方は他の業務で忙しいために、正直迷惑そうだったのです^^;
なので、その時は水行させて頂きましたが、2月まで継続して行うことは断念しました。
「そのための道場なのに」と思う人もいるかもしれません。
私も当時はそう思って多少ガッカリしました。
けれど、人には人の事情があるとでもいいましょうか。
瞑想道場は夫婦でなさっていて、小学生の子供がいて、他のお客さんの朝食の用意などもあって朝は忙くなるのでした。
「解脱修行より大事なものなんてない!」と言い切りたいのですが、これが物質次元で生きていくということ。
そう言い切って、それだけを行えるのは、山の中の隠匿暮らしをしている人や仏門に入った僧侶だけです。
一般社会に混ざって住んでいる以上、果たすべきつとめは増えていきます。
両方を両立させるって本当に大変なことです。
人の事情について他者があれこれ良し悪しの判断をする必要はないです。
「それじゃしょうがないよね~」という他者からの評価には何の意味もありません。
どういう割合でどういうスタンスでやるかは全て自分の中で決めることです。
子供が産まれて自分のスタンスも変わってきて、今になって瞑想道場のあのご夫婦のことが少し理解できたのでした。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
愛と光をこめて💖
長谷川陽子