霊的修行を受けらなら正統派であるインド人から受けたいと思っている人がいます。
形から入るのが悪いとは言いませんが、
グルをブランド品のように考えてる時点で
まぁ大したものは得られないでしょう。
インドには山師がたくさんいて
見る目がなければその人が本物かどうかの見分けなんてつきません。
かの有名なアガスティアの館ですら
インド中に何百とあって
沢山のインド人や外人でごった返していて
そのうちのほとんどがたいしたものを取り出せないまがいものだそうです。
人に騙されることに慣れていない日本人がインドにヒョイヒョイ行ったらカモがネギを背負って歩いてきたようなものです。
私は20代でバックパッカーをしていた時に
世界中を回りましたが、
インド人(とベトナム人)ほど信用出来ない国民はいないと思いました。
( 日本にいるインド人は(海外にこれるのですから階級も高いのでしょう)その限りではありませんが。友達いるしちゃんと言っとかないと )
安全に守られたツアーではなくインドの街中を歩いてみれば、多くのインド人がどれだけ貧しいかがわかります。(勧めませんけど)
バラナシのガンジス川沿いあたりではバックパッカーが毎年多数行方不明となり、彼らは10ドル20ドルのために殺されてガンジス川に捨てられるという話でした。
(ガンジス川沿いは火葬場になっていて、毎日沢山のインド人が燃やされて川に投げ捨てられていました。中には生焼けの死体や焼いてもらえない死体も川に浮いているので、外人が捨てられてもわからないのです。)
話軽くそれてますか、こうしたインドの背景も関係してると私は思います。
その国のことはその国の人にしかわからない。
私の義母はフィリピンからタイに嫁いできて、40年近くタイに住み、タイ国籍となっています。
本人はフィリピンを完全に捨ててタイ人になっていますが、それでもやはりタイ人から見たら生粋のタイ人とは違うわけです。(外人の私から見たら違いはわかりませんが、タイ人にしかわからないことがあるのでしょう)
その国にはその国の言葉があり、文化があり、歴史的背景があり、それら全てが複雑に絡み合って国を作ります。
物事には内側の視点と外側の視点が存在して、外から見たら素敵に見えることでも内側から見たら異なる見え方になったりすることもあります。
またインドからは覚者が多数輩出されているという認識からインドに憧れる人も多いですが、本当は覚者は世界中にいます。
どうしてもインド人から教わりたいと思うその人は何故今生では日本人なのでしょう。
自分は安全で平和な日本にいて、インドの深い深いカオスにまみれずに生きていて、インドに住んでインド人の苦しみを背負うこともせずに、自分に都合のいいところだけ受け取って、その人は一体何がしたいのでしょう。
マザーテレサが来日した時に
日本の企業のとある社長がマザーに寄付の申し入れをしたところマザーは断ったそうです。
その時マザーは言いました。
「日本人はインドのことを考えるよりも日本の貧しい人への配慮を優先して考えるべきです」と。
意味は違いますが、私はこの言葉は今回の話につながっていると思います。
海外の有名っぽい人のところに行ったからといって覚醒はしません。
あなたが見ないふりをしている目の前の事柄にちゃんと目を向けていくことで愛ははじまります。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて✨
長谷川陽子