どうせ生きるならカッコよく生きたい。

そう言えばそう思ってたなと最近フと思いました。

生きるということは選択の連続ですから、左右のどっちの足から歩き出すかという無意識的な選択から、何を食べるかの意識的な選択まで何から何まで選択しているわけです。

で、その選択の指針にカッコよさがエッセンスとして入っているというか。

ガムシャラに生きてんだけど、その中でやっぱり好き嫌いがあって、

ヨギたるもの好き嫌いなんてしてんじゃねぇ~と思いつつも、

物質次元に生きる以上思考と嗜好が生じるのは当たり前なわけで。

それこそ何も選り好みしないのはお寺に入っている僧侶くらいのもので、そういう人たちでさえどうやって生きるかという指針はあるわけで。

つまり嗜好はどう生きるかの指針にもつながるのかと思うわけです。

私の師匠である塚本先生も、ダーマ先生も、ダンディで男前で、

私はそういうものが好きで、

女だてらにそういうものを好みます。

何をカッコいいと思うかってのは人それぞれだと思うのですが、たまにカッコいいものを見るとニヤリとして「カッコいいなぁ」と思うのです。

私がカッコいいと思うものの一つに「無骨さ」があります。

例えば海の男。

ヤツらはなんかもう存在自体がカッコいいと思います。

ダイビングやってるから海の男はよく見てますが、無言で語らう感じとかカッコいいと思ってしまう。

船の上でずっと生活してたりすると、ずーっと一緒にいるから毎日一緒に飲んでるんだけど、みんな無言で好きなことしてたりするんですよね。

(そういうものにカッコよさを見てしまうというこのわけのわからなさ^^;)

旦那さんも海の男なので、船に乗るとそれが自分が働いてる船ではなくて自分はただの乗船客だったとしても、着岸の時に船が岸にぶつからないように自然に手伝っていたりして、そういうのを見るとニヤリとします。

だから息子はお上品に育てたいと思う反面、荒波でも怖れずに船を操船できる豪快な男になってほしいとも思ってしまうので日々葛藤する毎日です。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光をこめて✨

長谷川陽子