息子が発熱しました。
ヨガ・トリップとコ・チャンから帰ってきてすぐだったので疲労がたまっていたのか、風邪をもらってしまったのか。。。
はじめてのことだったのでとても心配だったのですが、
熱が出てはいるものの、本人はいたって元気で遊びまわっているので病院には行かずに様子を見ることにしました。
義母は「変な病気だったら大変だから今すぐ病院に行きなさい」と我々をドヤしつけましたが、
免疫抵抗力が下がっているときに菌が蔓延する病院に行って、逆にもらってしまうことだって考えられるし、熱は体内が戦っている証拠なので、強い薬で無理やり抑えつけるのも良くないと思いました。
友人の子供たちも小さい時はしょっちゅう熱出していたし、薬に頼りすぎて自助能力が下がってしまうことも懸念して病院には行きませんでした。
息子の熱は38度越えと37度を行ったり来たり。
こんな状態が3日も続いて、熱が下がると安心しますが、上がってくるとオロオロ気が気じゃなくなります。
こういう時、国が変わると方針が変わるのでとても厄介です。
靴下履かせるか、頭冷やすか、
外の風は身体に悪い、冷房の風の方がもっと悪い、
温かい風呂に入れるか、体拭くだけにするか、
などなど。。。
なんだかんだいちいち揉めます。
そんなこんなで義母と旦那と私とで小競り合いが何回か繰り返されました。
日本だったら絶対私のやりたいように出来るのにという思いが私をイライラさせ、
子育ての経験もないのにという思いが義母をイライラさせ、
自分の意見を誰も聞こうとしないという思いが旦那をイライラさせていました。
結局みんな息子を心配してのことなので、元気になればそれでいいのですが、
自分の意にそぐわないことが実行されると皆不愉快な気分になり、相手を責めたくなりました。
もしものことがあった際に、自分の納得いく処置が出来ていればまだ諦めもつくかもしれませんが、納得のいかないことをしていて万が一のことかあったら相手を責めてしまうかもしれません。(言葉で言わないまでもそういう感情はないわけではありません)
私は心で納得してなくても旦那の意見を採用していました。
でも本当は納得していないから不機嫌でした。
で、それが旦那にも伝わるから、旦那も不機嫌。
よろしくない循環でした。
最近、今更ながら「ノアの箱舟」を観ました。
ショーンコネリーの孫のジェニファーコネリーがノアの奥さん役として出てきますが、神の意向に背いて出来てしまった子供をノアが殺そうとします。
いつもなんの文句も言わずにノアに付き従ってきたジェニファーが「今まであなたの言うことはどんなことでも受け入れてきた私の願いを聞いて」と子供を殺すことをなんとか思い留まらせようとします。
映画の1シーンに過ぎませんが、そこに人生が凝縮されてるなと思いました。
私は夫婦は一つのチームだと思います。
家族になると更に大きなチームになります。
そのリーダーは本来夫です。
(最近は夫婦逆転している家族もあるかもですが、男女の性質から見ての話)
狩猟民族が群れで狩りをする時は、リーダーの統率が何より大切になってきます。
皆が好き勝手に獲物を狙えば、狩場は乱れるし、誰も収穫を得ることはできません。
ジェニファーコネリーの黙って亭主に付き従う姿勢は、貞淑な妻として大変尊敬できることでもありますが、自分で自分のことを「今まで言うこと聞いてきたんだから、この要求は呑んで」というセリフはいただけません。
このセリフからは妻の手放しの献身は見られず、不満を抱いて生きてきたという人生を象徴させます。
ジェニファーの役柄からしたら、不釣り合いな言葉で、子供を殺したくないという想いを強調させるために用いられた言葉なのは理解できますが、心の作用を理解したセリフではなく、ストーリーを盛り上げるために役柄を浅くしてしまっていることに気づいていないのがわたし的には残念でした。
こういう究極の話は置いておいたとして、私は家庭では最後は旦那さんに付き従うと決めています。
その中でもお互いはじめてのことは沢山あるので、上手く協調して協力してやっていく術を身に付けたいものです。
今の時代はもっと「お互い自由に生きる」という夫婦も多いかもしれませんが、2人があまりにも明後日の方向を見ていたら一緒に生きる意味はなくなります。
人生というサバイバルにおいて、背中を安心して任せあえる関係が最高と私は考えています。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
愛と光をこめて
長谷川陽子