私が言うところの「覚醒」や「悟り」とは三次元的にこまかく説明すると「覚醒のはじまり」や「悟りのはじまり」のことで、仏教徒やヨガで表現される最終的な形態のものとは厳密には異なります。

しかしそれは本当に三次元的な話なので、始まりも終わりもないと見ることができたら、ある意味においては到達したのです。

覚醒は薄いベールを何枚も剥いでいくようなもので、少しずつ少しずつ核心に近づいていくのですが、「開き始めている」というのは物質世界の便宜上の表現にすぎず、ある意味においては「開いた」も同然なので、物質世界で表現するところのレベルをつけてしまうと途端に違和感が生じます。

高い意識レベルを獲得せずに、三次元から論じているときはこれらは見えないので、なんのことかも分からずに、上か下で見てしまいます。

そうすることしかできませんから。

旦那さんは仏門から、私はヨガと世界の古の智慧から、学びを得ましたので、2人の世界をすり合わせるようなことを度々行い、お互いの気づきを深めます。

彼の話によると、タイの僧侶には我々には計り知れない凄い領域まで登りつめている人たちが沢山いるそうで。

その凄い領域とはどんな領域なのか聞いても「それが分かったら苦労しない。とにかく凄い領域。」という、旦那さんらしくない理論的でない表現が返ってきます。

そう感じているにはワケがあるわけですから、私が質問上手になれば上手く引き出せるのではないかと思っているのですが、いかんせん情報が少なすぎてチンプンカンプンです。

そしてその話になると私も聞けなくなりやすいです。

旦那さんは仏教徒ですから、仏教への強い信奉心を持っていて、仏教をあげるあまり、自然に他を下げます。

ということで、下げられた私は「君より凄い」という表現をされることで、ヘソが曲がります。

そういう表現をされると途端に雑念が湧いて、真意が見えにくくなるんです。

その時に湧き上がる雑念を丁寧に分解してみると…

「私なんて別に凄くないです。」と思う反面、「君なんかより」と言われたことでプライドが刺激されて対抗意識が燃えてしまい、「説明できないし、証明できないなら信じられないね」という次元の低い感情に巻き込まれてしまったりしまうのです。

そんなことで感情揺さぶられるなんてまだまだでしょ?(自分を神格化するために伏せておいてもいいけれど、そうすると皆さんの気づきも遅れるのでつまびらかに開示しました)

だからつまりそういう風にできてるんですよね。

自分を成長させる大切な智慧ほど

聞けなくなっちゃうの。

例えば、他の人に言われてもなんとも思わないけど、この人に言われるとカチンとくる言葉ってないですか?

それはトリガーです。

気づきのチャンス。

その人はあなたに新たな情報をもたらしてくれる、次の次元へ引き上げてくれるキーパーソンです。

だから素直に聞いた方がいいの。

だけどそういう人の言葉に限って聞けなく出来てるんですよね。

わかってるならさっさと先に進もうって話ですね^^;

苦言が苦いと思う心の真意は的を得ているから突き刺さるわけですね。

苦言を苦言と受け取らない精神状態を作ることが大切です!

苦言を寄越したヤツのせいにしてるうちは先には進みませんからね。

ひがいしゃいしきから抜けないと真意は見えない。

よし、私頑張れ!

みんなも頑張れ!

最後まで読んでくださってありがとうございました。

愛と光をこめて世界を応援✨

長谷川陽子