膨大な情報がどこにいても瞬時に得られる世の中ですから、
地球のどこかで戦争が行われていることも、
飢餓で苦しんでいる人がいることも、
人は知識として知っています。
戦争で目の前に敵国の兵士が突然現れた時、
人はどうするかというと、かなりの確率で銃の引き金を引かないそうです。
これに驚く人も多いと思いますが、
敵であろうが、自分と同じ人間を殺すことに人は躊躇を覚えるのです。
それでは戦争になりませんから、
ベトナム戦争では狙撃訓練の時に標的を普通の的から人型に変えました。
これにより、感情が動く前に人を撃つ反射神経が育ち、狙撃率が上がったそうです。
が、生身の人間を目の前で殺したことへの罪の意識が戦争後に現れたためにベトナム戦争の帰還兵は戦争の心身的後遺症(PTSD)に苛まされているのは有名な話です。
戦争は国のトップが決めて行います。
実際の戦闘経験のない人が戦争の指揮をして何千という命を奪っているわけです。
これは戦争のみに言えることではありません。
実体験を伴わないから情報としては知っていても、何も感じないことというのはたくさんあります。
私は10代でバックパッカーをやっていた時に、東南アジアで貧困にあえぐ人々や同じ歳くらいで売春に身を染める女の子達を沢山見てきました。
そういう経験をしたからエライという話ではもちろんありませんよ。
貧民街の独特な雰囲気や、売春宿の電灯の色、大地を染める夕陽を眺める人々、コーランの響き、人々の汗の匂い、、、それらが五感を刺激します。
本やテレビでもどこかに行った気になったり疑似体験はできますが、それによって深く深く心に衝撃が与えられるかといったら、実体験には勝てません。
自分は何の不自由もない日本に生まれて快適に暮らしているのに、その日の食べ物にもありつけずに苦しんでいる人達が実際にいて、自分とその人たちの違いは何なのかという思いを私は止めることができません。
もし、神がいるのであれば、なぜにこうも不平等に作ったのでしょうか?
なぜに争いは無くならない?
神は言います。
自分の中の争いがなくせずに、外の世界の争いは無くならないと。
自分の中でも小さな争いは日々繰り返されているのは確かです。
これを完全に平たくできれば本当に世界は平和になるのでしょうか?
私は知りたいと思います。
この行き着く先を。
だからこんなことしています。
生きている以上、活きないといけない。
人間として与えられた時間はわずかなものです。
宇宙からしたら蚊の一生と大して変わらないでしょう。
その中で何が出来るのか。
もしくは何も出来ないのか。
私の原動力はそこにあります。
地球のどこかの裸足でくらすあなたへ。
レストランに行ったこともなく、新品の服を買ってもらったこともないあなたへ。
与えられたチャンスを生かします。
もう一人の自分であるあなたのために。
ごめんなさい。
ありがとう。
ゆるしてください。
愛しています。
胸を張ってそう言えるように、前を向いて自分の信じる道を進みたいと思います。
最後の死を迎えるその時に
自分に恥じない行動を取れていたか
その時のために。
私ごときが全ての人を救うことは無理です。
それでも見るのをやめないで生きていきたいです。
そういうお気持ちがある方に魔法学校へご参加頂けたら幸いです。
地球と地球の生命体のために。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
愛と光をこめて

長谷川陽子