人と比べているときは苦しみから抜け出すことは出来ません。
「ものすごく幸せではないけれど、あの人よりは幸せだから幸せ」と自分を納得させる生き方は、ものすごく辛い時には役に立つかもしれませんが、基本スタンスがそれとなると、まるで人生の平均点を探しているようなもの。
いつも人と自分を比べて、外側に判断基準を置いて生きなければいけません。
そして自分の下に下を作らないとならず、
自分に不幸をもたらす存在を「あの人は悪い人だからいつかバチがあたる」と呪いをかけることで自分を落ち着かせることがあるかもしれません。
そしてその人に不幸があった暁には「ほらやっぱりね」と思う。
人の不幸せを祈ってい生きていることにもつながります。
「世の中が平和になればいい」
「みんなが幸せになればいい」
の「世の中」には、「みんな」には、
あなたを嫌いな人は含まれていますか?
自分の中の苦しみは自分が作っています。
神は人の都合を優先しません。
この世で人は分離しています。
(幻想であるにせよ)
攻撃の手は自分からゆるめましょう。
攻撃されていると思ったら、その時に自分の中で攻撃ははじまります。
あなたは自分から手放せますか?
それとも相手が攻撃の手を緩めるのを待ちますか?
攻撃がなかったとしても待ちますか?
(その場合は何を待っているのでしょう?)
地球上に生きている限り、好き嫌いはありますから、全ての人に好かれるのは無理というものです。
嫌われるには原因がありますから、善人でいようとすることは大事ですが、
好かれるようにだけ生きていれば、今日はこの人に合わせて白と言っていたものを、明日は違う人に合わせて黒と言ったりもし出しますから、自分の軸は無くなっていくことも事実です。
いつも全体を見渡す広い視点を持ちながら、慈愛の心を持って、そして勇気を持って生きていきたいものです。
私が愛する人、私が傷つけてしまった人、私を好きな人、私を嫌いな人、全ての人の心が平和で愛に溢れていられますように。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
あいとひかりをこめて

長谷川陽子