幼児はまだ神様とのパイプが太く、人間世界にしっかり属していないので、
自己と外側の世界の境界線もあいまいです。
特に母親と子供のつながりというのは本当に特別なものです。
これについて知識としては知っていましたが、実際に母親になって、感覚としても理解できるようになりました。
例えば息子が母乳を欲しがる時、私の乳をまるで自分の所有物のように扱います。
なので、時として当たり前に手に入るべきもの(オッパイね)が思い通りにならないとやり場のない鬱憤が爆発して癇癪を起こします。
思うように肉体を動かせない、自分の気持ちもストレートに伝えられないのだから、「物質世界というものはなんて不自由な所だ」と感じていることでしょう^^;
母親と自分だけでなく、幼児は物質世界全てに対して境界線があいまいです。
神様と一体化していた魂には分離の思想というものがないため、「外の世界は自分に危険をもたらす」という概念がありません。
その結果、地球に来たばかりのベイビーたちは時として無茶をやらかしたりもします。
例えば燃える炎をウットリして触ろうとしたり、
ケタケタ笑いながら高いところから一歩踏み出そうとしたり、
雑踏にフラフラ歩いて行こうとしたり、
野良犬の口元に手を出したり、
走行中の車のロックを外してドアを開けようとしたり。
そこは大人が子供をよく見張って
危険について教え続けないといけません。
危険を教えるということは、
「この世には怖れがある」という前提にもつながります。
親になるということは、
自分を物質次元に縛り付けることであり、
また高次元に生きる子供を物質次元に引き降ろすことでもあります。
ですから、ここが難しいところで、
しっかり自己を覚醒させて
高次意識に目覚めていない親は、
自分自身が世界を善悪で見ているので、
時に、子供に怖れを植え付けてしまう結果となるのです。
危険は地球で肉体を使って安全に生きるためのガイドラインのような役目です。
親が子供にしないといけないこともは、地球に肉体を持って生きるためのルールを上手に教え、楽しく生きさせることです。
そう考えると、子供にどう接するか、どう教育していくかも自ずと見えてくるのではないかと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました

あいとひかりをこめて

はせがわようこ。
