現代の日本や欧米諸国で行うヨガは3のアサナ(肉体を動かしてヨガポーズをとる)が主流となっています。
アサナは八支則の3段階目で、その後にまだ5項目も控えているわけですが、ほとんどの人はこの3番目に留まってしまうわけです。
それぐらい、アサナが肉体と心へ与える影響力は強いのです。
アサナは物質次元の私たちの心と身体をガッチリ掴んで離しません。
沢山の有名なヨガ教師たちも解脱には興味を持たず、このアサナに何年も何十年も一生かけてご執心してしまうわけです。
そうでない先生もいらっしゃるでしょうし、先生には意図があるのでしょうから、先生のことは置いておいて、これはそれ以外のお心当たりのある方へのお話です。
仏陀は悟りを開く前に、ヨガ行者たちと共に苦行を積んでいました。
ところがある日、苦行を手放し悟りの境地に達しました。
その後、ありとあらゆる人々に教えを説き、悟りに導きますが、唯一悟りに導くことができなかった人々がいます。
それが苦行者たちでした。
彼らは苦行こそが、悟りへの道と信じ、苦しみの向こうにしか喜びはないと信じ、肉体を痛め続け、ブッダの教えに耳を傾けることはありませんでした。
肉体を完全に制御することで肉体を越えることが目的なのですが、
別の見方をすると
ネガデイブからのポジティブです。
下がるだけ下がったらもう上がるしかないという陰陽極性を利用した方法とも言えます。
ところが、この方法の欠点は執着です。
我慢に我慢を重ねたあとのタバコや酒が美味いように、苦しみに苦しみを重ねたあとにやってくる開放感の心地よさに浸ったり、
それが度を越すとマゾっ気が出てきて苦しみに喜びを感じたり、苦しみを制御した自分へ喜びを感じたりし始めます。
肉体があることは幸せなことですが、それがなくては不幸せとなってしまうといけません。
苦行が手放せなくなってしまってはいけないのです。
つまり、苦行者たちの多くは
この世の陰陽極性に至上の快感を感じているので、それを手放すことが出来ず、物質次元に留まり続ける道を選んだわけです。
もちろん物質次元は尊いです。
物質次元だからこそ、極性を楽しめます。
あなたと私。
陰と陽。
光と影。
苦と楽。
貧富。
愛憎。
これらは全て物質次元の産物です。
そしてそれらを良し悪しで見るのも物質次元の私たちです。
高い次元に上がっていけば、それらすべてを平等に見る心が生まれてきます。
ですから本当の意味で苦しみから抜けるためには悟りを開かないといけません。
ヨガをして心が楽になってきた人、周りの人の言葉に傷つかなくなってきた、意見に左右されなくなってきた。
のであるならば、先に進まないといけません。
自分の周りだけを平和にするのではなくて、世界すべてを平和にする力はあなたの中に眠っているのです。
ですから、準備が出来た人は梯子を登りましょうね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
あいとひかりをこめて

はせがわようこ
