喜劇をやり続けて、到達したのがシュールレアリズムでした。
私は演劇の勉強をしにイギリスに留学までしたのですが、そもそもは古典的なシェイクスピアなどを勉強しに行ったつもりが、気づいたらシュールレアリズムの虜になっていました。
シュールレアリズムはダリやマグリットなどの絵画が有名ですが、芝居の世界にも存在します。
シュールなものを「理解不能なもの」や、「現実的でないもの」と捉えている方がいるかもしれませんが、それは全く違います。
シュールレアリズムとは本来「超現実主義」などと訳されるぐらい、現実的なものです。
皆さんがよく目にするシュールレアリズムの不可思議な絵からは超現実的な印象は受けないかもしれないですね。
例えばイオネスコの「ライノセラス」という戯曲があります。
これは町中の人がどんどん犀(サイ)になっていく話です。
「犀になってもいい」と思うと犀になってしまう病気で、舞台の上には服を着て犀のツノをつけた人たちが沢山登場します。
主人公や友人たちは「犀になんて絶対なりたくない」と思って抵抗していましたが、抵抗派がどんどん犀になっていき、気づいたら人間のままは自分たちだけ。
犀人たちは犀人ファッションに身を包みなんだか楽しそうです。
犀なんですが、今まで通り家に住んで、みな今まで通りの生活をしています。
違うことといったら、皮膚が灰色に硬くなって顔の真ん中にツノつけて頭には大きな耳つけてることだけ。
やがて人間であることが奇異な存在として扱われるようになり、自分たちだけ人間のまま取り残されていくことでだんだん友人たちの心理にも変化が出てきます。
マイノリティ(少数派)でいることへの居心地の悪さを覚え始め、
友人の中には「犀もいいかも」と、1人また1人と犀になる道を選び始めるというハナシです。
見た目は滑稽ですが、人々の集団心理をよく象徴しています。
集団の中にいると、最初は抵抗していても、皆と同じであることに快適さを感じ、自然に集団の色に染まっていくものです。
このように優れたシュールレアリズムの作品は、心の作用を上手く表現しています。
(時々、演者が意図を理解しておらず作品をぶち壊すこともありますが^^;)
真面目に取り扱うと、堅苦しくなる上に、オチをつけないとならず、そこに賛否両論生まれたりするような議題でも、空想の犀人などを取り入れることで、観客の撮り方次第で、社会風刺にもなるしメルヘンにもすることが出来るのがシュールレアリズムの面白いところです。
イギリス人やフランス人はこういった社会風刺的なジョークが上手な国民です。
ジョークばかり言って下品と思う人もいるかもしれませんが、頭が良くないと気の効いたジョークは話せません。
イギリスの上流階級ではジョークが話せないと社交界で上手く生きていけないほどです。
大陸で、隣国と常に戦争をして命の危険に晒されていたり、変えることのできない階級制度に苦しむ人々がユーモアたっぷりのブラックジョークを言って暗い世の中を笑い飛ばしていたこのとが伺えます。
ジョークは時に辛辣にもなるので、笑いを追求するあまり、過度のジョークで誰かのあげあしを取って恥をかかせるなどするのは自分の徳を下げるので気をつけたいところです。
最後まで読んでくださってありがとうございました

愛と笑いをこめて

ハセガワヨウコ
