淘汰の話ですが、この話には側面があります。

例えば地球で大災害が起きて、

それに巻き込まれた

AさんとBさんという2人の方がこの世を去りました。

見た目は2人ともただ他界しただけですが、

魂が行くところが違います。

それは地球での活動に加わります。

Aさんは生前、人のために奉仕し続け、魂の浄化を怠らず、宇宙真理に基づいて人類のために貢献し続けました。

Bさんは創造活動には加わらず、怖れにまみれた競争社会に生き、自己の魂を見つめることもせず、物質欲にまみれて一生を終えました。

Aさんは肉体を捨て、アセンテッド・マスターになり、光の存在として、今度は地球の外側から、引き続き地球のサポートを行います。

Bさんは輪廻転生の輪の法則に則り、再度地球で人生を始めます。生前どれだけ徳を積んだか計算され、それに見合った場所で再スタートしますが、怖れはそのまま魂に付着していますので、前回述べたように地球でありながら、見方によっては地獄とも言える場所に生まれます。

ですので、地球上の見え方ではただ死んだだけですが、魂に起こっていることは雲泥の差です。
(雲泥の差って言い得て妙ですね。日本語のこういう所が素晴らしい。)

現在の地球というのは類い稀な経験をしています。

なぜなら、このAとBのパターンの両者が共存しているからです。

しかし、それも今生までです。

淘汰が起こり、人類はふるいにかけられるでしょう。

「よくある終焉説ね」と聞き流している人も沢山いると思いますが、

それも分かる日が来るでしょう。

ですから、隣の人を見て安心するのはやめたほうがいいです。

赤信号みんなで渡れば怖くないって言って自分だけ轢かれるようなものです。

物質として現れてるところを見て安心してはいけません。

(ですから物質ではない領域が見られるようにならないといけません。)

信じるか信じないかはあなた次第です^ ^

最後まで読んでくださってありがとうございました。

全ての人類に霊性の夜明けが訪れますように。

はせがわようこ