実際、その日に産むという実感は皆無で、むしろもうちよっと待ってもらうよう頼むために病院に行ったのでした。

ところがあちらは既に斬る気満々で用意を整えておりました。

なんらかの問題があって

しようがなく帝王切開になるならまだしも

日本でだったら斬らなくていい腹を斬らさせられることに忸怩たる思いで、簡単には了承出来ずにいました。

出来ることなら今から病院を変えたいぐらいでしたが、

タイ語が一切わからない身の上でしかも勝手か分からない外国で自分で動き回ることも難しく。

渋る私に、では陣痛促進剤を使って陣痛を起こそうということになりました。

高齢出産の危険性は散々訴えるくせに

陣痛促進剤の危険性は無視するんかい!

と思ったりもしましたが、

とにかく入院手続きがなされ、投与が始まりました。

時間が経つにつれ、だんだん陣痛が強くなってきました。

ところが待てど暮らせど、胎児がおりてこない。

子宮口も全然開かない。

何時間も痛みに耐え続けているのに

全然子宮口が開かないのです。

実は、ハードな運動をしている人は骨盤底筋群の筋肉が発達して子宮口が開きにくいということがよくあるそうです。

ところで、日本だったらこういう時も歩いたり階段の昇り降りをさせたりして、出産の促進を促すそうですが、

タイではベッドに寝て動くことは許されませんでした。

痛みに耐えながら、ちよっと歩き回っていいか病院側に聞いてみたら、

「こんな状況で何言ってんだ」

みたいな顔をされたのでした^^;

そんな状況でたまえ先生にも電話しました。

たまえ先生も

自然分娩に出来るように頑張れというご意見でした。

しかし一時間おきに医者や看護婦が様子を見にきては

この状況を続けることへの胎児の危険性を説明して首を振りながら去って行くのです。

私はその度に

「日本では日本では」と言い続けて、

誰にも相手にされず

孤立無縁状態。

なんかもう本当に辛かったです。

(実際には旦那さんは私の味方でしたが、旦那さんにとっても初めてのことですから、経験ある医者たちと嫁の主張に板挟みにされて辛そうでした。それがまた申し訳なかったのです…(´Д` ))

こんなネガティブなところで止めるのもなんですが、話が長くなってきたので、後編に続きます。

それまでの私は出産ってもっと華々しいものだと思っていました。

なんでこんなネガティブな気持ちになりながら出産しないといけないんだろうか?

ん…?

なんかこれおかしいぞ。

自分の心境はまるで戦のようで戦々恐々としていることに気づきました。

選択肢は追い詰められて白旗を振るか、玉砕するか。

どうすればこの状況に勝てるのか。

んんっ?勝つって何?

出産に勝ち負けってないよね。

私誰に勝とうとしてるの?

医者?

それいらなくない?

と、こんな問答が頭の中で繰り広げられました。

とにかく、この調和していない状態で出産するのは違いすぎる。

こんな状態で自然分娩出来る気が全くしない。

これは自分の気持ちを変えないといけない。

ということで自分の考えを整理してみることにしました。


つづく