私は自分の仕事について、ヨガ哲学を教えていると説明したりします。

が、実際サンスクリット語はほとんど用いません。

それにはいくつかの理由があります。

日本語でサンスクリット語を説明するのは難しいです。

他言語を習うと、言葉の意味にとらわれて、言葉の本質にたどり着かないことがしばしば起こります。

簡単な例えをあげると、英語のI love you。

日本語では愛してると訳されますが、I love youを無理やり和訳した違和感は拭いきれず、愛してるといくら唱えても、英語が母国語の人のI love youと同じ心の状態にはなるのはかなり難しいです。

また、私の瞑想の師匠である塚本先生はサンスクリット語を巧みに操り、色々説明してくれましたが、聞きなれないサンスクリット語が飛び出すと、そこで思考が止まってしまい、話の本質から思考がそれてしまうことがしばしばでした。

「プラクリティが…」
「すいません…。プラクリティって何でしたっけ…」
「実相のことだね。プルシャの別の形とでも言いましょうか。」
「実…な、なるほど。で、プルシャって何でしたっけ…」「永遠の存在であり、至高の神をあらわします。」
「なるほど…。で、なんのハナシでしたっけ…(^◇^;)」

と、こんなことを繰り返してしまいます。

サンスクリット語が理解出来ないと、真理に辿り着けないのかと、サンスクリット語を学んだりもしましたが、まぁそんなわけはありません。

真理に辿り着いた人にとってはサンスクリット語は高次を表すに良い言葉ですが、辿り着いていない人にとっては、机上の空論に等しく、言葉は空回りします。

I love youが日本語で一言で表現出来ないように、サンスクリット語も日本語に訳すのも瞬時に理解するのもとても難しいです。

確かにサンスクリット語は真理を表すに適した表現をよく用いていますが、日本語に変換しているとどうしても時差が生じてしまいます。

我々がしたいことはサンスクリット語の理解ではなくて、真理の理解ですので、言葉のエネルギーを瞬時に察するために、私にとっては日本語で捉えることに集中した方がやりやすいです。

色んな方法で色んな人が真理を表現していますので、皆さんは色んな方面からのアプローチに視野をひろげて捉えて行けばいいと思います。

と、いうわけで、やっていることは真理の解明です。

が、それが仕事というと説明が必要になるので、便宜上わかりやすくするためにヨガ哲学と言わせてもらっています。





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