中学校の時は演劇部に所属していました。

その頃、文化祭で劇団四季の「夢から醒めた夢」を上演させていただく機会に恵まれました。

冒険好きの女の子が、不慮の死をとげた女の子に出会います。

あの世に行く前に、母親に別れを告げに行きたいと頼まれ、魂を貸して2人は入れ替わります。

主人公は死んだ子の身代わりとなって、霊界に行きます。

そこにある超高性能コンピューターには全ての人間の一生が記録されており、一瞬で地獄行きか天国行きかが分かるのです。

地獄行き天国行きは置いといたとしても、全人類の一生が記録されているコンピューターとはまさに、アカシックレコードやアガスティアの葉のようです。

私はコンピューターを管理する悪魔の役をやりました。

あの時の視点で物事を見てみますと、

良い行いをした人は天国へ

悪い行いをした人は地獄へ

どちらに行くかは死んでからじゃないと分からないので、人間は怯えて暮らす。

こんな風な図式になりますが、

実際は少々異なるということに気づきました。

確かに人間は自分の人生終わってみないと全体像は見えません。

ですから、自分の魂の目的にそった人生を送れたかどうかの振り返りはなされるものですが、

ゴールが天国か地獄かではありません。

怖れにまみれて、わけわからなくなってしまった人には、そういう心象風景として映るかもしれませんが、既に魂の平安を獲得している人にとっては天国地獄は凌駕した世界が待っています。

天国や地獄を見るのであれば、

全ての答えは心の中にあります。

心の中が平和で愛に満たされている人。

究極の愛に現世で生きている人は現世にいる時から既に天国にいるのです。

しかし、怖れまみれの人にとっては、この世こそが地獄なのではないでしょうか。

全ては心の中にあるのです。

ハートの聖なる空間に入りましょう。

そこには愛しかないと気づくはずですから。



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