胎教にラーマヤナを読んでおります。

正直、自分が楽しんで読んでいます。

読み返してみるとやっぱり面白いです。

読み聞かせようとゆっくり読んでいるおかげで、新たな気づきも色々あります。

私はハヌマーンの活躍が大好きなので、ついそこにばかり目を向けてしまいますが、ラーマヤナはラーマの妻シータの話でもあります。

ラーマヤナの中に良き妻の行いとして、シータのこんな話があります。

諸事情から王国を追われ、森の中で暮らすラーマ王子とシータ姫。

ラーマが毎日、野獣や羅刹に暴力を振るっているのを見るに見兼ねたシータはラーマに意見します。

「おぉ主よ。人間には三つの犯してはいけない罪があります。

それは嘘をつくこと、妻以外の女性に目を向けること、そして暴力に耽ることです。

あなたは真理の化身ですから、嘘はつかないでしょう。

そして他の女性に目を向けるなんてことをしないのも知っています。

それはあなたの美徳です。

でも、あなたが野獣や羅刹に暴力を振るうのを認めるわけにはいきません。

かれらはあなたに何も危害を加えていないのに、何故あなたは彼らに暴力を振るうのです?」

それを聞いたラーマは微笑んでシータに言いました。

「確かに私は羅刹達から直接危害を加えられてはいない。

だが、この森に住む私の信者である聖者や求道者たちが彼らに苦しめられているのだ。

聖者たちは人類の安寧と平和のために供儀を行っているが、羅刹はそれを邪魔し続けている。

私には私の信者を護るという義務があるのだ。」

それを聞いたシータはすぐに自分の誤ちに気づき、ラーマの御足に触れることで許しを請いました。

夫が悪に耽るとき

妻はよく忠告すべし。

妻は王に適切に助言する

大臣のごとくあるべし。

・・・

私たちは、自分の伴侶が誤った行いをしていても、保身(我が身可愛さ)が勝って意見が出来ないという状況に陥ってはいけません。

そのためにはいつも、伴侶とのよい距離感を保ち、お互いがお互いの相談相手に慣れていることが望ましいと言えますね。

ラーマ王子はヴィシュヌ神の化身です。

シータちゃんは神に意見をすることに相当勇気がいったでしょうね。

そういうシータ姫もヴィシュヌ神の神妃であるラクシュミ女神のアバターなのですが。

…んん。

ということは神様と神様が人間に化けての芝居をしているわけですね。

「暇を持て余した神々の遊び」

といっていたモンスターエンジンのネタを思い出しました。

関係ないか。



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