時々、ヨガ仲間の覚醒の促しを行ったりします。

奈良の知恵ちゃんなどもそうでしたが、知恵ちゃんの場合はリトリートのアシスタントだったので、知恵ちゃんが覚醒しているかしていないかで、私と一緒に生徒さんを引き上げる立場になるか、生徒さんと同じ立場になるか。

私にとっては意味が大きく変わります。

例えば生徒さんが怖れを手放せず苦しんでいる時に、「私も怖れだらけです」とアシスタントの知恵ちゃんに言われたら、「そうか。先生も怖れだらけなんだ」と、手放す覚悟が緩んでしまい、現状維持に甘んじてしまう人が出て来ます。

しかし、アシスタントの知恵ちゃんが光り輝いていて、自分の覚醒までの体験談を話せたら、生徒さんは自分も頑張ろうという気になるでしょう。

知恵ちゃんは私のような厳しい修行僧気質ではありません。

どちらかというとおっとりした性格で、偉ぶることなく生徒さんと同じ目線で接することのできる優しい先生です。

知恵ちゃんは私と逆の性質を持って皆の前に現れ、ものすごく厳しい修行をこなした人だけが覚醒できるのではなく、誰でも覚醒できるんだよということを体現してくれました。

というわけで、必要に応じて仲間の覚醒を促します。

もちろん私が勝手に行うのではなく、そういう時は高次の存在がその人を覚醒させるためにシチュエーションを整えます。

「あぁ、やれってことなのね」と、私は指令を受け取るようなカンジです。

それは私のためというよりも、未来の地球のためにも宇宙のためにもなるからです。

ヨガの教師は本来魂の教師であるべきです。

1人で最低でも1~30人の生徒さんに関わり影響を与えるのに、その人自身が覚醒しておらず、生徒に怖れを与えて、「私も覚醒していないから大丈夫だよ」と唱えて何がヨガ教師でしょう。

ヨガ教師は覚醒している必要があるのです。

と、いうわけで私に関わる仲間の教師の覚醒はタイミングさえあえば(神様が整えるお膳立てですね)いつもお手伝いしています。

しかし、これが結構厄介で、本当に心から覚悟が出来ていない人は覚醒から目を背けるので、時間がかかります。

「私は覚醒したい」

言葉ではいいますが、

「それは今じゃない」

とも言ってしまいます。

今じゃなくていつなわけよ⁈

の問答の繰り返しが始まるのですが、慣れ親しんだ怖れの声を聞き続け、魂に響いて行きません。

これは誰にでも起こることなのですが、セッションに来てる方は、自分で目覚めると決めて、自分の意志で、お金まで払って行動しているので、比較的素直に落とし込めます。

それは自分の「私は今目覚める」という強い決断がそこにあるからです。

が、仲間となると友人ですから、お金も払ってないし、勝手にやられているという意識が働きます。

「あなたに言われたくない」というエゴが邪魔して落とし込むのがとっても大変になるのです。

知恵ちゃんも3日かかりました。

「なんでわざわざ楽しい時間をぶち壊して、嫌なことばかり言うんだろう?」

と、こう思っていたそうです。

エゴから見ると真実がエゴに見えます。

それはエゴがあなたに囁き、真実の声を聞かせなくしようとしているからです。

人は図星を刺されると痛いもの。

優しい甘美な誘惑の声に浸っていたいのです。

エゴは真実を恐ろしいもののように囁きます。

「目覚めたら全てが変わってしまうよ。もう楽しく緩く生きることは出来ないよ。」…と。

それ、騙されてます。

覚醒のために生まれて来たのに本来の目的から逃げて、何が楽しいものでしょうか。

怖れだらけの人生のどこが緩くて甘美なのでしょう?

覚醒はゴールではありません。

そこから人生が始まるのです。

覚醒は世界を見通す力を与えます。

自分で世界を創造するための扉。

それが覚醒。

解脱です。

解脱しましょう。

今、世界中のすべての人の解脱が必要です。

これ以上、過去に生きるのはやめて、未来に進んで行きましょう。

新しい世界はもう扉をあけて待っています。



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