私のように宗教行事に喜ぶ人ってそんなにはいないのかもしれません。

しかし、わざわざ自分たちのために、自分たちの先祖のために、行う儀式はとてもパワフルな浄化力と魂への揺さぶりが起こります。

法力を借りて先祖とつながるわけですから、潜在能力が目覚め、魂の覚醒が促進する助けになるのだと思います。

まぁそんなことは何も関係なく、読経を聞くのが単に好きです。

日本にいる時は、車の中でもチベットの僧侶の読経を大音量で聴いて悦に浸ったりしてました。

仏教だけじゃなく、イスラム教のコーランや、ヒンズー教のチャンティング、キリスト教のグレゴリオ聖歌など、他の宗教のものでも聞くのは好きです。

音の倍音が細胞やアストラル体からコーザル体に響いていく感覚が好きなんですね。

と、いうわけでおばあちゃんの法要も誰より張り切っています。

おばあちゃんとそこまで深い関わりがないのに、なんであんなに一生懸命なのか親族の皆さんには不思議に思われているかもしれませんね。

法要の始まりはなんとなくダラダラ始まります。

僧侶が既に来ていて読経が始まっているのに、お供え物の準備や立ち話なんかしてて、誰も座り(お祈り)にいかないなんてことが多々あります。

そんな時、嫁として一人だけ座り(お祈り)にいくわけにもいかず、ヤキモキしながら皆が動くのを待っています。

すると旦那さんがいつも「座って(祈って)来ていいよ」と言ってくれるので、喜び勇んで座りに行きます。

背筋ピキーンと伸ばして一人一心に祈る様は、かなり真面目な宗教者の様相を呈していることでしょう^_^;

まぁこんな感じでタイの宗教行事を満喫しております。

ありがたいことです。




iPhoneからの投稿