ダイビングをする時

激しい潮流に逆らう魚たちを見るのが好きです。

流れに必死で逆らって泳いでいる魚たちに魅せられます。

吹っ飛ばされそうになる激しい流れの中、人間たちは岩にしがみついて風を受けた鯉のぼりのようになりながら魚たちを観察します。

流れが穏やかな陽だまりに戯れる熱帯魚たちを見るのも可愛くて好きなのですが、激しい潮流に逆らう魚の躍動感には圧倒され、惹きつけられるものがあります。

激しい潮流は通常そこそこの深場なので、まずは深場の潮流に行けば、帰り道に浅瀬の陽だまりの魚たちも観察出来ます。

光の届かない真っ青な世界は、人間にとっても驚異です。

タンクがないと辿り着けない領域まで降りて行くと、自分のちっぽけさ、無力さをまざまざと見せつけられ、大自然への畏怖の念を抱かずにいられません。

素潜りでも潜れるくらいの浅瀬に戻ってきて陽だまりの中で色とりどりの魚たちと戯れるとホッとします。

激しい潮流に行くには、自分で自分の身を守るそこそこのスキルも必要ですので、初心者は自力で行けません。

こういうダイビングが好きな人って、おじさんが多いです。

そこに男の浪漫があるのでしょうか。

いつもおじさん達にまじって、腕組みしてじっと魚を観察しています。

なんでこんな必死な思いして、こんなことやってるんだろうと時々考えてちょっと面白くなったりもしますが、自分も魚と対等になって真剣勝負になって始めて見られる世界というものがあるのです。

そこには生命の美しさがあります。

生きるのに一生懸命な姿は本当に美しいです。

余計なことを考えずにひたすら生きることを頑張る。

そこには生きる力があります。

一生懸命生きるって格好悪いことでしょうか?

死なないようにそーっと生きてるのと比べてどうでしょう。

「生ける魚は水流に逆らって游ぎ、死せる魚は水流とともに流る」

なんていう言葉が中国にはあります。

魚たちは流れてくるプランクトンを捕食するために流れに逆らっているだけで、修行気質なわけでもなんでもありません。

いつも逆らい続けていたら疲れるだけだし、ただの生き下手ですけど、時には潮流に乗り流れの赴くままどこまでも流れて行き、時には潮流に逆らって、時には陽だまりで瞑想する。

こんな生き方が出来たらいいもんです。

明日、死ぬかもしれないのに、魂をかけてやりたいことも見つけられず、ただ漠然と生きているなら、それは生きているとはいえません。

自然界に学びましょう。

魚のように生きましょう。




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