えみりちゃんとのリトリート終了しました。


蓋を開いてみるまでどんなリトリートになるのかいつも全くわかりません。


それというのも私のリトリートで一番要となっているのが「サットサンガ=心理の集い」だからです。


日本でヨガのワークショップを受けると基本的には先生からのアウトプットがメインなので、内容にさほど変わりは出てきませんが、今回のリトリートでは最終的に全ての人が同じ場所にいて「本当の意味での調和をする」というところがポイントとなっています。


これは参加した人全ての方の協力が必要です。


そんなつもりで参加していないという人もいるかもしれませんが、ハイヤーセルフに私のところに送り込まれた時点で、3次元では同意していなくても高次の次元では同意しているわけですから、私は私の役目を果たすまでです。


リトリートの良いところは、時間をたっぷりかけて自分の魂を見つめることが出来ること。


通常、日本で行われる1日もしくは数時間のワークショップでは、どうしても限られた時間内で終わらせないといけませんから、なかなかこちらが求めるレベルまでの引き上げは出来ないのが現状です。



朝目覚める時を想像してください。


朝日を浴びながら、鳥のさえずりと共に


最愛の人や、好きなアイドル、俳優に添い寝されて


「愛しの○○ちゃん、朝だよ。起きる時間だよ。」


・・・耳元で囁かれる。


こんな起こされ方いいですね。


これで目覚められればいいのですが、これが気持ちよすぎて目覚めない人がいます。


沢山います。


そういう人のところにはヤクザが土足で家にあがりこんで、


「くおらぁぁぁ!いつまでゴロゴロ寝くさってんのじゃあぁぁ!」


と、布団を引っぺがして、上り框に転がされるわけです。


どちらも目覚めるという作業に違いはありません。


我々は生まれてくる前に魂を眠らせたような状態にします。


(たまに違う人もいるけれど)


目覚めている状態というのは高次の自分とつながっている状態です。


生まれてから、様々な経験を通して目覚め、そこから人生をリスタートするのです。


ですので言うなれば、目覚めてからが人生です。


我々は目覚めるために、どんな手段をも使おうとします。


なるべく優しく目覚めたいのですが、どうしても目覚められない時はヤクザ屋さんの登場です。


だから、厳しくされる前に目覚めましょうね。


因みに目覚め=覚醒なわけですが、覚醒というのは薄いベールのようなもの。


覚醒したらそれで終わりではなくて、覚醒は人生を通して、気付きとして何回も繰り返され、それは究極の覚醒まで続きます。


究極の覚醒が起こると、肉体を手放し、光の次元へと移行するので、この世では死んだようになるでしょう。


私も途中の段階なので、これは推測や、古い書物の言い伝えからしか語れません。


もし、自分がここまで到達出来た暁には、ババジのように光から再度肉体を具現化して、弟子の前に現れたりしたいものです。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


皆さんに愛と光を贈ります。