最近、スピリチュアルブームとでもいいましょうか。


猫も杓子も「スピリチュアル」という言葉を乱用しているように感じます。


当たり前のことを書くのもなんなのですが


「私スピリチュアルな人間だから」


この表現は間違っています。


魔法が使えるとか霊能力があることをスピリチュアルと思っているとしたら


それも間違いです。



スピリチュアルとは「霊性」と表現されがちですが


本来は「宗教性」のことを指します。


宗教性とはなにかというと


「出自がしっかりしていること」です。



人間は父と母の間から生まれてきます。


キリストもブッダもみんな親から生まれてきました。


キリスト教も仏教もイスラム教も経典の最初は


「誰が誰の親で、誰が誰の子で…」というファミリーツリー(家系図)の説明から始まります。


すべての人間は父と母から生まれてきます。


父と母もまた父と母から生まれてきます。


この永遠とも思われる命のリレーのおかげで私たちは存在するのです。


ここに感謝の気持ちを持ち、尊敬の念をあらわすことが


「宗教性」です。


もしも親を恨んで「生まれたくて生まれてきたわけではない」と思っている人がいるとしたら


それが「宗教性の欠如」つまり「スピリチュアリティの欠如」というわけです。


この傾向は日本人に多いです。


海外では親は絶対という教育を受けますので、親を馬鹿にしたり蔑にしたりする人は少ないのですが、


日本人は無宗教の方(一応家は仏教だしお葬式はお寺でやけれど、実際仏教がどんなものか良く知らない。お寺に行くのは法事の時だけ)が多いために、この現象が起こっていると思われます。


これはとても危険なことです。


こういう人、スピリチュアルなことをやっている人(最初から説明するようにこの表現がそもそも間違っていますが)にも結構います。


だから苦しいからスピリチュアルに逃げているともいえます。


ヒーラーさんにも結構いてビックリします。



親も人間ですから不適切な言動や間違いも起こします。


でも親も学びの途中なんだと理解することが大事です。


もしかしたら親にもの凄く傷つけられて深いトラウマを負っている人もいるかもしれません。


親の全てを許せと言っているのではなく、この世に産んでくれたことに感謝することが大事です。


(この問題は人によってはかなり根が深い方もいらっしゃいますので、個人セッションなどでご相談にのります)


ここを手放さない事には先には進みにくいです。


生まれてきたこと自体を否定して健全なスピリチュアリティは築けません。


でもそれを純粋に感謝することが出来るようになれば、視界はどんどん開けていきます。


生命の神秘に感謝の気持ちを持つと、おのずと地球や宇宙の神秘に意識が向いていきます。


人間はちっぽけです。


でも生きている。


小さな花や虫もみんな生きている。


この奇跡のような地球と宇宙の運行に感謝して生きることで、


自然に地球と宇宙とつながりはじめるのです。


そして人間の生まれた理由、生きる理由がわかりはじめるのです。


それは自分レベルで止まっている時には見えてきません。


まずは父と母が、先祖がつないだ命に純粋な感謝の気持ちをもって目を向けること


そしてそこから広げていくことで見えていく世界なのです。