チェンマイ市内には沢山のお寺が点在しています。

時間が出来たら、ちょっとお寺に行って瞑想に時間を費やしています。
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仏様の前は特別なエネルギーが流れているので、とても良い瞑想が出来ます。
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↑ワットプラシンの立体曼荼羅(勝手にそう呼んでます)は、かなりいい瞑想状態に導いてくれます。

時として、観光客でザワザワしてて想念が吹き溜まってしまっているお寺もありますが、お寺は沢山あるのでそういう時は場所を変えて、気持ちよく居られる場所を探すまでです。
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こちらでのお寺でのお祈りは正座で行われています。

あぐらをかくのがはばかられるので、なるべく正座していますが、さすがに硬い床で長時間の正座はきついです。

が、正座があまりにもキツくてちょっと横座りしてみたところ、エネルギーの流れが途絶えるのが分かりました。

横座りの瞑想や読経もあるようなので、ちゃんとしたポイントをおさえればエネルギーも通せるのでしょうが、少々研究が必要です。

それにしてもやはり、正中を整える事はとても大事です。

あぐらでも正座でも、長時間座っていると肉体的苦痛が表面化してきます。

普通に行で座っているなら、この苦痛は無視して座り続けないといけません。

肉体が精神鍛錬の邪魔をするわけですが、肉体のいう事を聞き続ければ、肉体の奴隷となり、志高の精神は築けません。

肉体も子供と一緒です。

甘やかして欲しいものだけ与え続けた子供はどうなりますか?

肉体が朽ちようとも私は神と一体になるという強い精神力が、本来の行のあるべき姿です。

霊気の創始者である、臼井甕男(ウスイミカオ)氏は霊験あらかたになりたくてありとあらゆる修行を行いますが、なかなか悟りを開く事が出来ませんでした。

自分の師匠に、自分がどれだけ神を渇望しているかを話し、どのようにすればいいか助言を求めると、臼井氏は師匠に一言、

それでは死になさい。

と、言われたそうです。

つまり、自分の命を差し出す覚悟で行にあたりなさいという意味です。

そして、臼井氏は神と繋がれるまで山を降りないとそれこそ死ぬ覚悟で、断食瞑想を始めるのです。

詳細忘れましたが、三週間も経ったころ、いよいよ命が危ないという時に突然雷に打たれたように神が降りてきた…

そこから靈氣の能力を備わった…

と、言われています。

つまり、解脱とはこのくらい、命をとして行うものです。

神様と自分のエゴを天秤にかけてはいけません。
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神様の前に出る時は、こういう真摯な気持ちが大事という事です。

瞑想指導の時に「ここが痛いんですけど、どうすればいいですか?」と聞かれた時は「じゃあ楽にして下さい」と答えるしかありません。

その人に先生の言うとおり、座り続けたら身体を故障したと言われても困りますので、楽にしたい人はどうぞとオススメします。

が、本来これは自分で決めることだということを知っておいていただくといいかなと思います。

大事な事は正中を整える事です。

エネルギーラインが真っ直ぐでないと、瞑想の出来高は格段に下がります。

意味をなさなくなると言っても過言ではありません。

なるべくまっすぐでいられる方法を自分なりに探してみましょう。

また、体重が重すぎるとそれだけ瞑想はキツくなりますから、そういう方にはダイエットをオススメします。

2月の魔法学校では、毎日瞑想が入ってきます。

標準体重を越えている方は今のうちに体重制限を始めることを強くオススメします。

瞑想が上手くできなくて、時間を無駄にしないように今から準備しましょう。

自分に対しても、世界に対しても、言い訳しないで済むように心と身体を鍛錬しましょう。
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