ヨガの行に「カルマ・ヨガ」というものがあります。
カルマと聞くと「因果応報」の「業」を連想される方がいらっしゃるかもしれません。
が、この場合のカルマとは「無償の行為」「無私の行為」のことをさします。
「行為の結果に対する思いを放棄し、見返りを求めず私心を交えず行為すること」
これがカルマ・ヨガです。
私たちは常日頃、お金の為に、誰かの為に、何かの為に働いています。
(働くというのは仕事だけでなく、全ての行動、アクションをさします)
が、カルマヨガはこれらを一切手放し、無償でただ与えられた行為のみに意識を集中するのです。
例えばお金の為に働けば「これだけやったんだから、これだけもらえて当然」と対価価値を求めてしまいますが、これをしているうちは求めたもの以上の物は得られません。
人に対しても同じことが言えます。
「私はあなたの為にこれだけやったのに、あなたはどうしてしてくれないの?」
ギブ&テイクですね。
このように考えていると、心は貧しくなっていってしまいます。
駆け引きをし続けないといけないので、やがて疲れてしまいます。
幸せになるための法則、心の平和を獲得するための法則は、「行為の結果を手放すこと」にあるんです。
目の前にただ、やるべきことがあるから行う。
これを繰り返すのみです。
カルマヨガはヨガのティーチャーズトレーニングによく組み込まれています。
ので、ヨガスタジオやワークショップにはカルマ・ヨギが働いていることがしばしば。
「お金貰ってるんだから、この人は仕事して当然。」「私はお客よ。お客は神様。」
ともしアナタが思っていたとします。
ところがもし、目の前のスタッフが無償奉仕のカルマヨギだったらみなさんはどう思いますか?
「無償だろうがなんだろうが知らないわ。それはそっちの問題で、私はお金を払っている客よ。」
と、やっぱり思いますか?
それとも
「無償でこんな大変なことしているなんてエライ人だわ。大変そうだしお手伝いできることはあるかしら?」
と、手伝いにまわりますか?
そのどっちをお客さんが選択しようと、カルマヨギはたんたんとこなすだけです。
お金の為に働いていたら前者が来たら
「こんな薄給でこんな仕事やってられっか」
と思うかもしれません。
しかしカルマヨギはお金の為に働いていないので、最初からそんな気持ちになりません。
悪態つかれても「そういう人なんだな」と思うだけです。
しかも後者が来たら、人の愛に触れてハートが喜びます。
お金では得られない経験をして、またやろうという気持ちになります。
つまり、いつもいいエネルギーが流れてくるのです。
カルマ・ヨガは手放すことの大事さを教えてくれます。
色んなものに執着してガンジガラメになっている方、手放してみませんか?
カルマ・ヨガはやろうと思えばすぐできます。
例えば、道で困っている人がいたら、その人の為でなくカルマヨガとして、助けてみます。
例えその人がお礼を言おうが、言うまいが、何故か悪態をつかれたとしても気になりません。
だって行為の結果に執着していませんから。
自分の心は平和なままです。
オフィスのゴミがいっぱいになっていた。
コピー機が詰まっていた。
自分ばっかりやったら損をするという気持ちを捨てるのがカルマ・ヨガ。
見返りを求めないから楽です。
1日1回、カルマ・ヨガ。
心の修練にいかがですか?