昨日はうちに滞在しているスペイン人につきあって、明治神宮参拝と代々木公園散策に行ってきました。
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途中でダーマ先生の弟子仲間の千夏ちゃんと合流し三人で散策することに。

最初はおおらかに散歩気分だったのですが、神社境内に入るとやはりご神域を嫌でも感じてしまいますキラキラ

スペイン人と千夏ちゃんに神社での過ごし方をレクチャーし始めていました。にひひ

本当に初歩的なことですが、表参道は神様が通る道(正中)なので、端っこを通ります。

そして一つ一つの鳥居では神聖な領域に入れてもらうことに敬意を示して一礼します。

ここでスペイン人から「だれも道の端を歩いてないわよ。本当にそれやらないといけないの?」という指摘が。

だから普通の人にはそれだけエネルギーが見えてないんですよね。
残念なことにo(_ _*)o

神社は神様の住むおうち。
人様の家に土足でズカズカ上がり込んだら失礼なように、神様のおうちに入る時も敬意を示すのはあたりまえですね。

鳥居で一礼し、一つ一つくぐるごとに、エネルギーの浄化が行われて行きます。
あぁ気持ちいい(*^▽^*)

参拝の前に手水舎に寄って、手と口を清めるのもお忘れなく。

さぁ本殿まで来ましたよ。
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明治神宮はそもそも、明治天皇を祀っている神社です。

天皇うんぬんとは関係なく、わたしにはたくさんの地球のグリットとのアクセスポイントが感じられる場所です。

昨日は先勝。

たくさんの結婚式の行列が見られました。

最近は白無垢だけじゃなく、柄の振袖の人も増えて来たとか。
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一年に一回くらいウェディングドレスドレスの人もいるみたいです。

ウェディングドレスなら神社じゃなくてもいい気がしますが、まぁ本人の自由ですわな。

ってか!
それで思い出したけど、何気に行列全てに平等に祝福が送られてない感じがしました。
みんな神社からの、神様からの祝福が降り注いでいるんだけど、その中でも特別に光が降りている行列があったんだけど、あれは何だったのか…。
また次回観察してみます。


本殿での作法は二礼二拍手一礼です。

スペイン人に教えると「知ってるわ。それをしたあとに神様にお願いごとをするのよね」

まずは自分が何者なのかを告げるのを忘れてはなりません。

「わたしのスペインの住所を言ってはたして神様が理解出来るのかしら?」

神様とは自分の中にいる存在です。

神域は自分の中の聖なる部分と繋がるアクセスポイントですから、自分が繋がることが出来ればスペインだろうが、南極だろうが関係ないと思われます。

お祈りを済ませると、千夏ちゃんとスペイン人が私を待っていました。

スペイン人の彼女がニヤニヤしながら私を待ち構え、「ずいぶん長かったわね。あなたの住所はとても長いのかしら?それともお願いが沢山あったの?」と聞かれました。

ここで言いたいのは、神前は自分の願望祈願する場所ではないということです。

心静かに瞑想の境地に入ることで、神前は自分の聖なる部分と繋がるスターゲートと化します。

自分が何者であるかを告げたのちに、グラウンディングを果たし、地球と宇宙と繋がると、普段見えない世界が広がります。

そこには高次の自分からの今の自分に必要な情報が置いてあるのです。
普段の生活では見えにくくなってしまっている真理が、神域に入ることでシンプルに見えてくるのです。

ですから神域では心静かに瞑想の境地に入り、自分を神様に明け渡すことで、新しいエネルギーを受け入れるのです。

時として、思いもよらない程の膨大なエネルギーが流れてくることがあります。

そういう時は中断せずに完了するまで待ちます。

本当は自分が意図すれば完了出来るのでしょうが、私は経過を楽しみます。

ご神前で「はぁぁ。このエネルギー凄い…」とのたまう私はスペイン人にはよほど奇異に見えたことでしょうにひひ

しかし神がかった私を何人たりもと止めることはできません。

エネルギーポイントを見つけては、「ここここ!ここに来て!」と騒ぐので、何気にギャラリーがやってきます。

ひとつキッカケを作ってあげれば、敏感な人はすぐに察知して集まってくるのです。

千夏ちゃんにも箱根のヨガ合宿で生徒さんにしたように、エネルギーポイントとのコネクトをしてあげました。

「今まで何回も来てるけどこんな体験始めてだわ。神社ってこうやってすごすんだね。」と感慨深そうでした。

神社とはそもそもご神木があって、そこに社を建てたのがはじまりです。

つまりその土地自体がエネルギーを持っているのです。

そこに行くことで、自分の中の神聖を思い出し、繋がることが出来れば覚醒の助けになっていきます。

更に自分以外の大いなるもの、自然の驚異に尊敬の念を持つことが出来れば、謙虚に生きて行くことができます。

一が全をなし、全が一をなす。

宇宙の果てしない創造のプロセスの一部であるということを理屈でなく感覚として感じる為に神社は存在しているのです。

軽い気持ちで行ったのですが、意外とレクチャー出来ることが沢山ありました。

都内神社ツアーやろうかな?




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