私がインドネシア語を習って一番カルチャーショックを受けた時の話です。

私「「昨日パンを食べたかったけれど、なかったからご飯を食べた」ってどう言うの?

友人「Saya makan nasi kemarin(私は昨日ご飯を食べる)」←(過去形がないので昨日をつけて過去形にする)

私「食べたかったけれど食べれなかったと言いたいんだよ。「食べたかった」はどういうの?」

友人「言わない。別に食べなかったんだからわざわざ言う必要ないでしょ。「昨日ご飯を食べた。今日はパンを食べたい」これで充分。」

が~ん叫び
なんてシンプルなんでしょうか。
しかし我々は時としていらないこと言い過ぎているということに思い至ります。

言葉に雑多な情報が多すぎて、結局何が言いたいのかわからないということがしばしば。

話す側でさえ、自分のマインドの整理がつかない状態で話し始めるから受けては言葉の真意が読み取れず、間違った情報として受け取ってしまうこともあります。

言葉は意図です。言霊です。


そこに情報をのせてエネルギーを発動することで、具現化していくのですから、意図・言霊はシンプルであればあるほど、そしてディティールにこだわっていればいるほど効力を発し、現実を引き寄せます。

間が持たないからと無駄なことを言ったり、暇だから人の悪愚痴言ったりしていると、それらが自分をとりまく情報(エネルギー)となっていきますので、気を付けるべきです。

日本語の細やかな表現もステキですが、インドネシア語のこのシンプルさはこれからの言語だと思います。

「私はあなたが苦手なの。本当はそう思いたくないし、いい人だって知ってるけどあなたのこういう言葉によって私は傷つけられたから苦手なの。ごめんね。でも私も辛いから辛さをあなたに知らせたかったの。」
自分への弁護なのか相手への非難なのか…長いうえに、なにが意図なのか全くわかりません。

「オマエ、キライ」→戦争じゃ~むかっ

「オマエ、スキ」→愛キラキラ

音の波動の強力さを知って、良い言霊をつかって良い波動に包まれましょう。


今日も皆さまが愛に溢れた素敵な一日を送れますように虹