ルルドの泉はマリア様が現れて少女に奇跡を見せたことからキリスト教徒の巡礼の地で有名になった土地です。
映画では奇跡を求めて巡礼ツアーに参加した不治の病の車いすの女性が、突然歩けるようになるという話です。
これは本当に奇跡なのか?なぜ彼女が選ばれたのか?
彼女を取り巻く人間ドラマが見どころの映画です。
ルルドには奇跡認定というのがあるらしく、本当に奇跡なら認定を受けられるのですが、症状が元に戻ってしまう人がいるらしく認定を与える側も慎重です。
その辺の心象が上手く表現されていて女性がよろめくシーンはドキッとさせられました。
映画のワンシーンで治癒して元に戻ってしまった人のことについて、こんな会話が出てきます。
「本当に奇跡だったら、神様はなんで与えてまた奪うのかしら」
「もし元に戻るならそれは奇跡じゃなかったんだわ。神様は何の関係もない」
人間って全てのことに意味を求めてしまう生き物です。
奇跡を求める人々に神父さんが
「肉体の癒しを求めるのではなく、魂の癒しを求めなさい」
と言っていました。
魂の癒し。本当にその通りです。
人は悪いことが起こると「何故私にこんなことが起こるのだろう?」と考えます。
「みんなと比べて私は健康だから幸せだと思わなくっちゃ」
「あの人はあんなに大変なんだから私はこの位我慢しなくちゃ」
他人と比べて自分の心の平和の基準を決めると、いつまでも心に平和は訪れません。
外側の世界は自分の心次第で変化するのです。
心の平和は外側に求めるのではなく内側に求めないといけません。
輪廻転生の観点から言えば、魂を癒さないと来世も似たような学びを繰り返してしまいます。
大事なことは心のあり方です。
キリスト教の教えで考えると神様と自分を同一視は難しいのかもしれませんが、自己の中に神を見ないと神様の行いの意味は理解しにくいものです。
映画中に出てくる祈りの言葉
心と身体を癒す方よ
病と死から解放するため
イエスをつかわした父よ
心と肉体の弱さに苦しむものを
どうかお救いください
本山博先生も
「最終的には神様への祈りは必要。大いなるものへ救いを求める気持ちがあることで人は驕りたかぶることがなくなる。」とおっしゃていました。
人知を超えた力に畏怖の念を抱き、謙虚な気持ちを持つことが霊性の向上にとても大切なんですね。