時々、「本当に解脱をめざすならば出家しないといけないのですか?」という質問をいただきます。


「スワミの道とヨギの道はどちらがすぐれているか」という質問に

「人間の最終目的である“神との合一”が達成されるならば、それに至るための方法は問題ではない。」と、ヨガナンダは答えています。

(あるヨギの自叙伝 P234)


スワミとはすぐれた師という意味の他に出家者という意味を持ちます。

インドでは僧団に入ることを許され法衣をまとってスワミになります。


ヨガナンダの師であるスリ・ユクテスワもそのまた師であるラヒリ・マハヤサも同様に、十分に機が熟していない弟子に対して「神の悟りに達していない者がスワミの僧衣をまとうことは世の人々を誤り導くことになる」として僧団に入ることを思いとどまらせていました。

「脱俗の外面的なしるしを求めてはならない。

それは虚偽の誇りをいだかせて、かえって人を害するかもしれない。

たいせつなのは、毎日着実に霊的進歩の道を歩むこと。」

と言っています。



ヴェヴェーカナンダの「カルマヨガ」の経典の中に、本を読むこともできず、学校にも行っていないのに宇宙の真理を知る肉屋が出てきます。


本当に大事なことはダルマ(宇宙の運行に則ってそれぞれがこの世で果たすべき使命)に沿った生き方をすることで、それをすることが出来れば、厳しい修行を行わずとも真我の覚醒が得られ解脱することが出来るのです。


解脱とは神との合一。


我々の最終目的は神との合一。 


それだけなんです。


そして遅かれ早かれ、全ての人がそうなります。
それが今生なのか、あと何回転生を繰り返せば達成できるのかは人それぞれです。

焦っても、泣いても笑っても、カルマの解消が済んでいなければ輪廻転生は終わりません。


常人は年を老いて死を持って解脱に近づきカルマを解消するのが常ですが、ヨガを行ずる人はそれを早めて人生において経験することが出来ます。


バガヴァット・ギーターではヨガの行法は万人に適用できる方法であると言っています。

この行法は、単に僧侶としての生き方に適した特定のタイプや気質を持つ少数の物のみを対象としたものではりません。


ヨガの科学は万人の要求を満たすものであり、だれもが自然に受け入れることのできるものです。


まずはヨガの教えを生活に取り入れてみて下さい。


いつも心の中を平和にするお手伝いが出来るはずです。