前回の個人セッションのお話で「袖すり合うも他生の縁」という言葉を使いましたが、何年も前、まだ私がヨガに目覚める前、スピリチュアルなワークも全然していなかった時の話を思い出しました。
皆さんは「聖なる予言」という本をご存じでしょうか。
私がスピリチュアルに目覚めるキッカケとなったともいえる衝撃の一冊です。
(まぁ他にも「ムー」とか色々ありますが…)
「聖なる予言」で主人公は昔の女友達に偶然会ったのがキッカケで、南米で見つかった古文書を探す旅にペルーの密林へ出かけていくという物語です。
旅の途中で偶然の一致から古文書を知るさまざまな人に出遭い、主人公は数多くの経験をしていきます。
偶然の一致を必然と考えることで魂を目覚めさせ、争いのない新しい愛の時代に突入するための智慧が書かれている古文書から魂の成長を学んでいくという物語です。
人間はどこから来たのかばかり考えていた、当時の私にとってはセンセーショナルな本でした。
「聖なる予言」は偶然の一致について以下のように言っています。
・出会った人はすべてあなたに必要なメッセージを持っている
・特に何年も会っていないかった人と、全くあり得ない場所で偶然バッタリ会ったとしたら、その人とは必ず話をしてメッセージを受け取るべき
なるほど~。何年も会っていない人とバッタリ。それは分かりやすいサイン(合図)だと思いました。
そんなある日。
当時の私はイギリスに留学していました。
友人とスターバックスでお茶をしていると、窓の外を日本人が歩いています。
なんとなく見た顔だなと眺めていると、向こうもこちらを不思議そうに眺めています。
あ!知り合いだ!でも誰だか分からない!でも結構昔の知り合いのはず!
それは聖なる予言を読み終えたばかりだったので、脳裏に「偶然の一致」という言葉がピコーンと浮かび上がりました。
脱兎のごとくあわてて外に飛び出して、彼に話しかけました。
「私たち知り合いだよね」
「知り合い知り合い」
「…どこであったっけ?」
「誰だっけ?」
若いって怖い。こんな失礼なやりとりが繰り広げられました。
みなさんご存じのとおり、私は結構濃い口のキャラなので一度知り合って忘れられるっていうことはまぁありません。
相手も私のことを覚えていないとなると、相当遠い縁なはず。
お互い名乗ってもわかりません。
住んでいるところ、学校など経歴を明かしあってもピンときません。
っていうかこのやりとりバカでしょ(^_^;)
それほど「聖なる予言」まっしぐらだったわけです。
「バイト先?あ!コカレストラン!!」
当時からさかのぼって5年も前でしょうか。
銀座にあるタイスキのレストランでホールのアルバイトをしていた時の厨房のスタッフでした。
どうりで分からないはず。
アルバイト数30人にものぼる大型レストランで、厨房の彼とは話をしたこともないくらいの関係でした。
突然現れた厨房の男の子S君。
さぁどうずる聖なる予言~~。
自分にもとびきりスピリチュアルなことがおこるのでは?
いきなりペルーに行くことになるのでは?
期待に胸を弾ませていましたが、S君は古文書の研究もしておらず(当たりまえです)会話をしていても何も起こらない。
イマイチうまくメッセージを受け取れないので次の日も会うことになり、
彼と彼の彼女のために何故かロンドン観光をすることに。
向こうはほとんど他人に近い自分の為になんていい人なんだと感謝しまくっていましたが、こちらはメッセージを受け取ろうと必死だっただけなんです。
本当に滑稽です(^_^;)
…で、どんなメッセージを受け取ったかというと…結局よくわからないのでした。
ここまで読んで、ズコーッとなった人スイマセン!
すごいドラマを期待させて肩すかしもいいところですね。あはは(;^▽^A
でも、結局そういうことなんですよね。
受け取ろう受け取ろうと鼻息荒くしている時に限って何も受け取れず、
のんびり構えている時に限って突然舞い降りてくる。
だから大事なことはいつもオープンにしていつでも受け取れるようにだけしておくこと。
今はわからなくても、後でわかるということも本当にありますからね。
後というのは1年後か、10年後か、来世かわかりません。
そんなに待てない!と思ってもしかたありません。
それは現在(いま)に生きている私たちにはわかりえないことですからね。
だから楽しみでもあります。
今まいた種が将来どんな実を結ぶのか、そう考えると悪くない気がしませんか?
な~んて思う今日この頃です。