昨日、タイの小人が突然夢枕に立ちました
というわけで、今回は十数年前に出会った小人の話です。
当時の私はバックパッカーで、タイのパンガン島で沈没していました。
沈没とはバックパッカー用語で、居心地の良い場所に腰を落ち着け長く留まり、動けなくなることを言います。
当時のパンガン島はフルムーンパーティーで有名なヒッピーパラダイスでした
フルムーンパーティーの日は近隣の島から沢山の人が集まり、島中お祭り騒ぎですが、フルムーンパーティーの翌日になると全ての人が島から引き上げるので島の中はカラッポになります。
その月の満ち引きに引き寄せられる人の流れやエネルギーが面白くて、しばらくの間沈没していました。
私が滞在していたバンガローはお祭り騒ぎのハードリンビーチからほんの少し離れた丘の上に建てられていて、海が一望出来る素晴らしい立地でした
毎日果てしなく広がる海をボンヤリ眺めて瞑想にふける日々。
波が作る水面の模様がどこまでもどこまでも続いてその美しさにただただ心を奪われるばかりでした
あたりに人家はなく、夜には満天の星空が広がりました。
ハンモックに寝そべって宇宙に吸い込まれそうになっていると、人間のちっぽけさや大自然の偉大さを感じ、人の生きる意味や宇宙の神秘を考えずにいられませんでした
そんなある日の夕暮れ時、
自分のバンガローのテラスにあるお気に入りのハンモックで昼寝をしていると、風もないのにひとりでにハンモックが揺れ始めたのです
ハンモックは人が乗ればまぁまぁな重さがあるので、そよ風程度では簡単には揺れません。
最初はバンガローをシェアしていた旅仲間が揺らしているのかと思いましたが、起き上がって見回してもあたりには誰もいません。
みんな出かけていて、バンガローには私一人だったのです。
不思議に思いながらも、寝直しましたが、またハンモックが揺れ始めるので起き上がりまたあたりを見回す。それをなん回か繰り返し、私がどうでもよくなって現象の答えを探すのを諦めたその時でした。
突然夕立になり、ザーッバラバラバラッという大音量ともに大粒の大雨が降って来ました
「わ~っ!」とビックリして跳ね起きたのですが、自分を打つ大粒のモノは雨じゃなく沢山の赤い木の実と気付きました
なぜ突然木の実が大量に落ちて来たのかわけが分からずに頭上を見上げると、そこに小人がいたのです
複数の小人がハンモックがぶら下がっている枝に座ってこちらをみていました。
その時は驚いたというより、「なんだ小人だったのか」みたいな気持ちで小人の存在を自然に受け入れていました。
これぞパンガン・マジック
ヒッピーと暮らして、日常的に非日常的な会話を繰り広げており、また不思議なことがいっぱい起こるその島にあまりにも長くいたために、その時の私には小人の存在くらい全然不思議じゃなくなっていたのです。
それから小人はバンガローにちょくちょく遊びに来てくれるようになりました。
やって来ると「あ、今来てるな」と気配で分かるようになり始めましたが、バンガローには他にもリスや鳥が毎日やってくるので、そのうち小人もその中の1つくらいになって珍しくなくなっていきました。
パンガン島を離れ、十数年経った今、まさか自分がこんなスピリチュアリズムにどっぷりはまり込んで、天使や精霊と関わって生きていくようになるとは当時は夢にも思いませんでした。
が、あの頃の経験が今の自分をつくっているんですよね


小人などの自然霊はアストラル界の知恵ある住人で、自然のあらゆる物質的なものの背後にいる存在です。
小人や妖精は人間より小さいけれど、自由に姿を変えられます。
もともとアストラル次元の住人のため、普通は肉眼では見えませんが、物質化も自由なために、条件が揃えば見ることも出来るのです。


日本に帰国して何年も経ったある日、朝の登校中の小学生が道端でボンヤリと野草を眺めていました。
その時の気配で「あぁこの子、妖精が見えているんだな」とすぐに分かりました
それは一枚の絵のように美しい光景で何年もたった今でも忘れずに思い出されます。
子供の心はキレイだから、自然界の存在たちもその前には姿を現しやすいようですね。
ハッシャゲニアという本(角田弘明著)には石狩川河口で撮影されたニングル(妖精)の姿が掲載されています。
私がみた小人はその写真に似ていますが、もう少しきゃしゃで子供っぽいカンジでしたね。
小人たちは夢枕に立ち、私に何を伝えたかったのでしょう。
その答えもすぐに明らかになるでしょう。
みなさんも自然の中に入って、精霊の気配を感じたらしばし立ち止まってその存在を感じてみてください。
自然界の精霊があなたに何かメッセージを送っているかもしれませんよ。
そしてあまりに鈍感だと私の時のように木の実を投げてくるかもね…
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました
iPhoneからの投稿

というわけで、今回は十数年前に出会った小人の話です。
当時の私はバックパッカーで、タイのパンガン島で沈没していました。
沈没とはバックパッカー用語で、居心地の良い場所に腰を落ち着け長く留まり、動けなくなることを言います。
当時のパンガン島はフルムーンパーティーで有名なヒッピーパラダイスでした


その月の満ち引きに引き寄せられる人の流れやエネルギーが面白くて、しばらくの間沈没していました。
私が滞在していたバンガローはお祭り騒ぎのハードリンビーチからほんの少し離れた丘の上に建てられていて、海が一望出来る素晴らしい立地でした

毎日果てしなく広がる海をボンヤリ眺めて瞑想にふける日々。
波が作る水面の模様がどこまでもどこまでも続いてその美しさにただただ心を奪われるばかりでした

あたりに人家はなく、夜には満天の星空が広がりました。
ハンモックに寝そべって宇宙に吸い込まれそうになっていると、人間のちっぽけさや大自然の偉大さを感じ、人の生きる意味や宇宙の神秘を考えずにいられませんでした


自分のバンガローのテラスにあるお気に入りのハンモックで昼寝をしていると、風もないのにひとりでにハンモックが揺れ始めたのです

ハンモックは人が乗ればまぁまぁな重さがあるので、そよ風程度では簡単には揺れません。
最初はバンガローをシェアしていた旅仲間が揺らしているのかと思いましたが、起き上がって見回してもあたりには誰もいません。
みんな出かけていて、バンガローには私一人だったのです。
不思議に思いながらも、寝直しましたが、またハンモックが揺れ始めるので起き上がりまたあたりを見回す。それをなん回か繰り返し、私がどうでもよくなって現象の答えを探すのを諦めたその時でした。
突然夕立になり、ザーッバラバラバラッという大音量ともに大粒の大雨が降って来ました

「わ~っ!」とビックリして跳ね起きたのですが、自分を打つ大粒のモノは雨じゃなく沢山の赤い木の実と気付きました

なぜ突然木の実が大量に落ちて来たのかわけが分からずに頭上を見上げると、そこに小人がいたのです

複数の小人がハンモックがぶら下がっている枝に座ってこちらをみていました。
その時は驚いたというより、「なんだ小人だったのか」みたいな気持ちで小人の存在を自然に受け入れていました。
これぞパンガン・マジック

ヒッピーと暮らして、日常的に非日常的な会話を繰り広げており、また不思議なことがいっぱい起こるその島にあまりにも長くいたために、その時の私には小人の存在くらい全然不思議じゃなくなっていたのです。
それから小人はバンガローにちょくちょく遊びに来てくれるようになりました。
やって来ると「あ、今来てるな」と気配で分かるようになり始めましたが、バンガローには他にもリスや鳥が毎日やってくるので、そのうち小人もその中の1つくらいになって珍しくなくなっていきました。
パンガン島を離れ、十数年経った今、まさか自分がこんなスピリチュアリズムにどっぷりはまり込んで、天使や精霊と関わって生きていくようになるとは当時は夢にも思いませんでした。
が、あの頃の経験が今の自分をつくっているんですよね



小人などの自然霊はアストラル界の知恵ある住人で、自然のあらゆる物質的なものの背後にいる存在です。
小人や妖精は人間より小さいけれど、自由に姿を変えられます。
もともとアストラル次元の住人のため、普通は肉眼では見えませんが、物質化も自由なために、条件が揃えば見ることも出来るのです。


日本に帰国して何年も経ったある日、朝の登校中の小学生が道端でボンヤリと野草を眺めていました。
その時の気配で「あぁこの子、妖精が見えているんだな」とすぐに分かりました

それは一枚の絵のように美しい光景で何年もたった今でも忘れずに思い出されます。
子供の心はキレイだから、自然界の存在たちもその前には姿を現しやすいようですね。
ハッシャゲニアという本(角田弘明著)には石狩川河口で撮影されたニングル(妖精)の姿が掲載されています。
私がみた小人はその写真に似ていますが、もう少しきゃしゃで子供っぽいカンジでしたね。
小人たちは夢枕に立ち、私に何を伝えたかったのでしょう。
その答えもすぐに明らかになるでしょう。
みなさんも自然の中に入って、精霊の気配を感じたらしばし立ち止まってその存在を感じてみてください。
自然界の精霊があなたに何かメッセージを送っているかもしれませんよ。
そしてあまりに鈍感だと私の時のように木の実を投げてくるかもね…

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました

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