優れたヨギは、ある超自然的な方法によって、他人の病を自分の肉体のうえに引き受ける事ができる。
ちょうど力の強いものが、弱いものの荷物を代わりに背負ってやる事が出来るように、霊的超人もまた、弟子たちのカルマの重荷の一部を自分のみに引き受ける事によって、彼らの肉体的、精神的苦痛を軽減してあげる事が出来るのである。
放蕩息子の親が、その財産をはたいて息子の借財を支払い、それによって息子を恐ろしい道楽の報いから救ってやるように、偉大なる師は、弟子たちの為に進んでその身の一部を犠牲にして、弟子の苦しみを軽くしてやるのだ。
大師が他人の病を癒す場合、必ずしも自分が代わりに病気にならなければならないということはない。通常、自分が害を受けないような色々な霊的治療法を用いるが、まれには弟子の急速な進化を促す為に、弟子の好ましくないカルマの大部分を進んで自分の身に引き受ける事もある。
イエスは、多くの人々の罪のあがないを、身をもって示された。彼の全能の力をもってすれば、十字架の死を免れるくらいいとも容易だっただろう。
だが彼はあえて霊妙な因果の宇宙法則に従おうとした。彼は他人のカルマ(特に弟子たちの)をみずから背負った。これにより、弟子たちは高度に純化され、後日、普遍意識を受け入れることが出来るようになった。
(あるヨギの自叙伝第21章より抜粋)
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ちょうど力の強いものが、弱いものの荷物を代わりに背負ってやる事が出来るように、霊的超人もまた、弟子たちのカルマの重荷の一部を自分のみに引き受ける事によって、彼らの肉体的、精神的苦痛を軽減してあげる事が出来るのである。
放蕩息子の親が、その財産をはたいて息子の借財を支払い、それによって息子を恐ろしい道楽の報いから救ってやるように、偉大なる師は、弟子たちの為に進んでその身の一部を犠牲にして、弟子の苦しみを軽くしてやるのだ。
大師が他人の病を癒す場合、必ずしも自分が代わりに病気にならなければならないということはない。通常、自分が害を受けないような色々な霊的治療法を用いるが、まれには弟子の急速な進化を促す為に、弟子の好ましくないカルマの大部分を進んで自分の身に引き受ける事もある。
イエスは、多くの人々の罪のあがないを、身をもって示された。彼の全能の力をもってすれば、十字架の死を免れるくらいいとも容易だっただろう。
だが彼はあえて霊妙な因果の宇宙法則に従おうとした。彼は他人のカルマ(特に弟子たちの)をみずから背負った。これにより、弟子たちは高度に純化され、後日、普遍意識を受け入れることが出来るようになった。
(あるヨギの自叙伝第21章より抜粋)
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