こんばんは。
イマにヒとコヘ(え)です。
芝居をする。
芝居する。
とは何なんでしょうか。
絶賛、稽古中の演出家、木川流です。
芝居をさせる。
芝居させる。
とは何なんでしょうか?
と自問自答している日々です。
話を変えて。
能動的に生きている実感はありますか?
今、このブログを読んでいるあなた。
きっと僕はこのブログを読むことを強要していないはず。
そうだったらごめんなさい。
あなたは今、自発的にこのブログを読んでいます。
電車の中で。布団の中で。トイレの中で。
さて、あなたはなぜ電車に乗っていますか?
どこかに行くために電車に乗ってるはず。
友達とあうため。仕事から帰るため。旅行に行くため。
さて、その目的は強要されていますか?
されていないはずです。
されていたとしたら、僕のTwitterにDMください。
助けに行きますので。必ず。
さて、なにがいいたいのかというと、
あなたは今、自発的に、能動的に、生きているということです。
少し時間を巻き戻して。
ああ、
芝居をする。
芝居する。
芝居をさせる。
芝居させる。
って、なんて難しいのか。
「決められた台詞なんですけど、決められてない言葉なんだよ。」
「それを前提に、台詞を話して。」
「つまり君がこの台詞を言いたくて言うってことなんだけど。」
「無茶なことは言わないで。」
っていつ言い返されるかわからんのですわ。怖いのですわ。
だけど、演じている俳優、つけている演出、書いている脚本家。
僕らがみんな、自発的な、人間なのであれば。
作品上で生きている役もまた、人間なのです。
彼らの結末、台詞、ミザンス、その他、
運命は定まっていようとも、
作品上で流れる瞬間を自発的に生きる、人間なのです。
何事もやりすぎは芝居の目的に反する。
芝居の目的とはいわば「自然に向かって鏡を掲げる」こと。
つまり美徳には美徳の様相を、愚には愚のイメージを、
時代や風潮には、その姿や形を示すことだ。
僕の愛する作品の、愛する台詞ですが、
この台詞によるとやはり、役を受動的に動かしてはいけないらしいです。
戒めのように、この台詞をつぶやきます。
役者さんが、自らの意志で舞台に立ち、動き、話し、
それと同時並行で、役が立ち、動き、話す。
ほんとにそんなことできるんですかね?
僕はできると信じていますけどね。愛。
そして、今ままでも、これからも、僕はそうやって創っていくのだと思います。
遠回りかもしれないんですけどね。
明日の稽古が楽しみで寝れません。
ほんとはぐっすり寝てしまうのですが。
「あれ?能動的な睡眠か?」
まあまあ、
無常の風はいずれ吹く。
ってね。
お後がよろしいようですので、
今日は短いですがこんなところで。
どうか勘弁してやってください。
稽古中なので、芝居の話しかできなかったですね。
演劇人と演劇が心の底から好きなので。
どうか許してやってください。
イマにヒとコヘ(え) 演出家 木川 流




