先日、横浜シティガイド協会主催のウォーキングツアー「横浜開港場ミステリー・ツアー」に参加してきました。
横浜開港資料館で「横浜・地図にない場所」が展示されており、この展示で取り上げた「消えた場所」のいくつかを巡るというツアーでした。
横浜は元々「横浜村」といい、寒村でした。
開港して以来、西洋文化が入りまたたく間に発展し、街の様子が変わって行った街でした。
しかし、関東大震災などにより消えてしまった場所もありました。
消えた場所は、いったいどんなところだったのか?
そんなハマの一面を知りたくて、主人と参加してきました。
集合場所・横浜開港資料館のたまくすの木
横浜開港の頃からある、ハマの生き証人です。
ツアーの始まりはレクチャーから
さざ波のうち寄せる砂浜があったという話にびっくり!今でも、見られるか?
資料館の展示を見ました。
市街地を縦横に走る川があったことにもびっくり! 関東大震災で亡くなられた方々の慰霊碑があります。言葉が出なかったです。 階段を登ると、「元町百段公園」
ウォーキングツアーの始まりです
こちらは、元町にある「増徳院」
現在は薬師堂ですが、元々は別の場所にあった真言宗の寺院
「元町百段公園」へ向かう階段
以下は当時の写真。左にある階段らしきものが「元町百段」です。
今は高い建物ばかりが見えますが、当時は眺望の良い高台だったようです。 現在の横浜市庁舎は、昔は魚市場でした。
元町の厳島神社。横浜村の州干島にあった州干弁天社を分祀し、明治初年にこちらに遷座。
州干島は、こちらを参照。
はい、教室のある弁天通りにきました。
(写真は弁天通2丁目、教室の入っているマンション・一階がラーメン屋さん)
その名の通り、弁天社へ一直線に通ずる道でした。現在弁天社はありませんが、今でもパワースポットだと、私は思っています。
弁天通りを歩き進み、6丁目を過ぎたあたりに州干弁天社があったようです。
正面の肌色の建物は、桜木町ワシントンホテル
このそばには、神奈川県立歴史博物館があります。
重厚な造り。昔の横浜正金銀行本店の建物です。外国為替業務が主だったそうです。
横浜住んで15年が過ぎましたが、まだまだ知らないことだらけです。
ディープな横浜を探りたい、うーん、もっと探りたいですね!
「弁天通り」という横浜の歴史舞台の場所に教室を移転したのも、何かのご縁だと思います。
ありがたい場所でお仕事させていただくことに、益々感謝の気持ちが芽生えるのでした…
それでは、今回はこの辺で失礼します。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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