論評は深いです
今回のディビジョンコンテストの出場に際しては、皆さんから多くの応援メッセージをいただきました。本当にありがとうございます。
8月から始まった今年の論評シーズンですが、3ヶ月はさすがに長く、正直なところ少々バテ気味でしたが、皆さんからの温かい声が大きな励みになって、なんとかかんとか終えることができました。心から感謝しています。
でもこの3ヶ月は、大変だったと同時にいい勉強にもなりました。
論評にこれほど正面から向き合うことができたのは、コンテストに参加したおかげです。論評の奥深さに触れることのできた3ヶ月でした。
一般的に論評は次のブロックに分けることができます。
導入 → よかったところ → 提案 → 要約 → 締めの言葉
コンテストでは、大きなプレッシャーの中で短時間に内容を組み立てなくてはならないので、このそれぞれのブロックについて、何をどのように言うかに考えを集中させました。
この「何を」の部分は分析力が問われるわけですが、しかしながら、気がつくところは皆多かれ少なかれ同じで、特によほど優れた感性と頭脳を持っていない限り、大きな差別化は望めません。
そこで私の場合は「どのように言うか」の部分に重点を置くことにしました。
同じことを指摘しても、言い方次第で印象が変わり、ひいてはこれによって分析力があるように思わせる(!)こともできるかも、と高をくくったわけですが、どうだったでしょうか。苦肉の策ですよね。
でもこのあたりが私の限度でした。そしてここまでお読みになって気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、上記のことはすべてコンテストに「勝つ」ための方策であって、Evaluate to motivateの方策ではなかったのです。
その場しのぎのようなことばかりしていると、一番大切なことを見失ってしまいます。
独立したスピーチのように語られがちな論評ですが、本来論評というのは、準備スピーチのスピーカーや内容によって、やり方やスタイルを変えていかなければならないものなのでしょう。
ここに論評の奥深さがあります。論評のむずかしさがあります。こんな領域に達することができるとするなら当分先のことになりそうですが、でもチャレンジし続けなければなりません。
そこで、例会ではこれからもいろいろと論評の仕方を模索していくつもりです。
仲間のために自分が一番いいと思う論評を、そしてEvaluate to motivateのためには上記のブロックや特定のスタイルにこだわらない心からの論評をしていきたいと考えています。論評は「愛」ですものね。
もし4年後に再び論評コンテストに参加することができたら、そのとき私はどんな論評をしているのでしょうか。
自由闊達な、スピーカーを motivateできる論評ができているでしょうか。そしてそれはコンテストに勝てる論評でしょうか。
改めて、皆さんの応援、本当にありがとうございました。会場に来て下さった皆さん、懇親会の会場にわざわざ来てくれたK井さん、本当に、本当にありがとうございました。
こうした皆さんの気持ちは、生涯忘れない、私の心の宝物になりました。これからもよろしくお願いいたします。
K口
ディビジョンDコンテストの様子
http://photozou.jp/photo/list/1000757/5490970