(自分の20歳の時、安徽省体育運動武術学校武術隊にて 1989年)
「UNESCO:ユネスコ:国連教育文化機関」に2020年12月に認定を受けて、国際武術関係者からは、歓迎の声の賞賛が多くみられます。
太極拳は、中国武術の一拳種であり、数多くある「武術拳種」から「世界無形文化遺産」になった、ということを思うと、やはり「国際連合:国連」の2030年までに推進している”SDGs:持続可能な発展目標”での「老若男女問(ジェンダー)」「歴史文化的背景(タオ:老子、荘子の思想哲学)」「武芸であってでも、人と争い競うことを目的としない」「的確な心身の活性化が得られる」「「中国人のみならず、世界中のどなたでも学び知り、自身での無形文化遺産となる」という要素から必然的であったと思います。
今回は、私の修養プロセスで、多くの皆さんと共有できる「カンフー(功夫)映画と中国武術について」
これまで(1978年日中平和友好条約締結~)の日本国内の太極拳愛好者は、どちらかというと「スポーツが苦手」「内向的」な方々が、趣味で太極拳を始めた方々が多い傾向があります。
1990年の「北京アジア大会の正式種目」に決まってから、「競技武術:WUSHU」は日本国内も一時期は盛り上がりを見せましたが、ここ最近は人気も活動人口も右肩下がりになって来ています。
これは中国武術協会内で、オリンピック競技化を目指す派閥が先に立ち、伝統武術を大事にする方々の派閥に分かれていました。
伝統武術系は、やはり「太極拳」を推奨して「中国政府」は、太極拳一拳種の大きな付加価値を理解して「ユネスコ:国連科学文化教育機関」に申請し、認定を受けることができました。
近い将来に血気盛んな若者の為に、いずれ「少林武術」も申請される可能性があると思います。
現在、私はやはり感覚的に「太極拳文化」を崇敬して、その普及指導を仕事に毎日充実した日々を過ごしています。
しかしながら、いきなり 此処 へ来たのではなく、たくさんのプロセスを経て辿り着きました。
私は、幼少の頃から反射神経が発達し、敏捷性の高い子供でした。
小学校へ上がる前から、公園のブランコやジャングルジムを多彩にこなし、スポーツも大好きでした。
小さいボールを扱うスポーツ項目(野球とテニス)以外は、全部こなしました。
6歳から剣道と水泳を学んだので、武芸的要素、身体のバランス感覚は小学生時代6年間で、鍛えられました。
スポーツ万能的な感覚を有し、何かと 他に興味や関心が持てず「中国武術」が私の前に現れました。
13歳から、中国武術の道へ入りました。はじめはある組織の教室で「24式太極拳」と「武術基本功」「基礎長拳」を学びました。
16歳より「全日本太極拳協会」に移籍し、来日されていた「杜進」に師事し、長拳、器械、伝統拳術(※いわゆるカンフー項目:査拳、蟷螂拳、鷹爪拳、翻子拳、通臂拳、八極拳など)そして「陳式太極拳(陳家溝スタイル)」を学びました。
間に中国大陸へ渡り、伝統武術、体育運動武術学校武術隊で学びました。
16歳~28歳ぐらいまでは、武術の競技大会に、”世に知られたい”という 純粋な売名行為的な思いもあって出場し、成績も修めました。
28歳頃から、養生に目覚め、太極拳、健身気功と深く掘り下げていくようになりました。
今、56歳の自分から振り返れば、自身の「生命力の健全化」の継続維持、長く人生での生き甲斐を大事にしました。
カンフー(功夫)映画と 中国武術の関係についてでは、カンフー映画は若い時はアクションに憧れ、強靱な心身、映画に描かれる「清廉潔白な精神性の高さ」に憧れました。
そして多くを実践しました。
※赤服が私(東京武術隊 隊長時代)
2番目、中央水色が 私
カンフー映画に学んだのは、やはり主人公の精神性と正義感。
現代人に最も必要な能力「記憶力」「決断力」「実行力」が大事です。
また、これからも人生は続きます。
人生100年時代、がんばりましょう。