ようやく、これから世間も落ち着き、あとは「WHO:世界保健機構」からの「パンデミック収束」への、発表待ちというところに来ています。

この2年6か月という期間、中学、高校1年生の卒業、入学前から始まり、もう3年生にもなろうか、という時期になります。

私自身も仕事の方向性を切り替え、ありとあらゆることを試した2年半でした。

私達の活動においても、明確な教育方針が重要と考え、YouTube動画に「中国武術思想」「日本思想」そういった動画で、これからの新しく入る会員さんなどにも、共に学び考えて、日々一歩一歩を進んでいこうとしていきます。

今日は、私の影響を受けた内容をご紹介致します。

私が一番最初に、漢学:漢文にふれて大きな感銘を受けたのは、小学六年生の国語の授業でした。

それは、江戸時代に日本の武士道に影響を与えた「朱子学」の「朱熹(1130~1200年)」で有名な「偶成」です。

偶成

少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず
未だ覚めず池塘 春草の夢
階前の梧葉 已に秋声

少年時代は短く、年をとってしまい、学問はなかなか成り難い。
そのことゆえに、少しの時間でも軽軽しく無駄に過ごしてはならない。
池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、
階前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、
月日は速やかに過ぎ去っていくものである。

私自身は、その通りと思い、学びには国語と社会、体育には、とても意識を向けていました。

そして、論語からは「為政第二」


「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず) 」

先生はいわれました。「自分は十五歳のときに学問を志し始めました。三十歳にして独り立ちの位置に身を置き、四十歳で迷うことがなくなりました。五十歳のときに天命を理解し、六十歳のときに人の意見を耳から素直に聞けるようになりました。七十歳の時にやっと自分の心の思うままに行動をしても人の道を踏み外すことがなくなりました」

私も今は、53歳になり、いろいろと想うことがあります。

 

これから時々、論語と、その思い出などを紹介していきたいと思います。

「純粋な学び」の積み重ねは、本当に重要で、これからも「論語と共に」の意識を大事にしたいと思います。