時は戻らない。
そういった、誰しもが知っている、すべてに与えられた公平な時間と空間の中で、
私は自分自身の存在証明として、日本国内で開催された、1984年 第1回全日本太極拳・中国武術表演大会から、2000年の全日本武術太極拳選手権大会まで、16年間 国内の競技大会へ出場していました。
1984年、16歳 第1回大会にて「自選長拳」の演武
私は1990年からは、当時の、本場の中国武術大会では、1人「6項目・総合」でしたので、日本国内で私は「長拳」「刀術」「棍術」「伝統拳術」「対練」の5項目に毎年出場していました(日本では1人最大5項目出場しか認められませんでした)
5項目は、予選と決勝があるので3日間で、入場ゲートを10回通っていて、最終日は、例年いつも大会スタッフの方々に覚えられてしまい「また、やるんですか!?」とあきられ顔で見られることが、通常でした(笑)
中でも、総合的に一番行うことが難しく、人気のある中国武術項目の「対練」は1990年〜2000年まで出場しました。
この部門での成績は、1990年が初エントリーで「6位」
それから1991年〜2000年までは、「1位」が5回、「2位」が6回でした。
やはり一番、印象深いのは、3部作(三節棍、棍、盾牌刀)をすべてのパートでこなしたことでした。
(※普通は、1パートしかやりません)
「記録(成績)」を残す、というより、皆様の「記憶(思い出)」に残っていられることが幸せに思います。
1992年 三節棍(赤服が私)対、盾牌刀(盾と刀)
1994年 盾牌刀対、棍(右側、赤服が私)・三節棍
1995年 盾牌刀対、棍(右側、赤服が私)・三節棍
2000年 盾牌刀(真ん中、水色服が私)対、三節棍・棍
おまけ
棍(赤服が私)対大錘
1992年 東京武道館 東京都武術選手権大会エキシビジョン
対練は、1対2などで構成されますが、一般的には「やられ役」が一番能力的な付加価値を上げるものと考えられていました。
明るく、激しく、楽しく過ごして来ました。
これからは、多くの若き後継者を育成して、同じように「明るく、激しく、楽しく」の有意義な実感を伝えて、
その後に、若者たちは「自分たちの時代」を構築すべく頑張って欲しいと思います。
私自身は、同世代や、年配の皆様と一緒に、これまで通りに太極拳や健身気功活動でのんびりやって行きたいと思います。